松本薫(ロンドンオリンピック女子柔道金メダリスト) ・【スポーツ明日への伝言】"野獣"のセカンドライフ
現役時代は鋭い眼光と攻撃的な柔道から野獣と呼ばれていた松本さん、女子57kg級でロンドン、リオデジャネイロ2つのオリンピックで金と銅のメダルを獲得しました。 2019年に現役を引退、現在は2人のお子さんの子育てをしながら、所属先で始めたアイスクリーム店で商品の開発、販売に携わっています。 この夏のオリンピック放送ではNHKのスタジオなどから柔道を判り易く、なおかつ選手の気持ちに寄り添った解説をしてくださいました。 現役時代のこと、それを終えた現在のセカンドライフについて伺いました。
今度のオリンピックの解説をやらせてもらって凄く楽しかったです。 今まで応援するという事がなかったが、気づいたらすごく応援していました。 芳田 司さんへのインタビューの時にはなかなか言葉が出なかったです。
4歳の姉と2歳の男の子がいます。 姉には家で週一回楽しく柔道をやっています。 私は6歳から始めました。 兄と姉二人、弟との5人兄弟で、 兄が柔道を始めたのをきっかけに順番にはじめました。 最初あまり柔道はやりたくありませんでした。 道場は厳しかったです。 私よりはほかの兄弟の方が才能がありました。 辞めるなら自分で言いに行きなさいと母から言われて、いけませんでした。 高校ぐらいで本格的に柔道と向き合って、周りとの目標設定がかみ合わなくて、一時期畳から遠のいてしまいました。 高校を転校して、しっかり自分の意志で強くなろうと思ってやりました。 或る時に世界との差に壁を感じて、自分でのやり方ではどうなるものでもないと思いました。 段々顔が野獣になってきて、相手が吃驚して勝てない相手に勝てちゃたということがありました。 これも一つの戦い方だと思って身に付けて行きました。 結果を出すことに集中していきました。
母からはところどころで刺激となる言葉を貰って、小学生の頃は「虫見たいな柔道だったね」と言われショックでした。 全国中学校大会で優勝して強化選手になって外国などにも行って、母は石川県から出たこともなくて、「薫はいろんなところへ行けていいね」と言われた時には、「私がお母さんを世界につれて行くね」と約束をした時期でもありました。 これが大人になった時に私を助けてくれました。 最後のひと踏ん張りは人のためという事が大きいと思います。 父からはいつも言ってくれる言葉に「薫には千里眼がある、だから大丈夫だ。」と言ってくれて、何故かその言葉が嬉しかったです。
帝京大学2年生の時に道場で「妖精」を見ました。 多きなバケツがパカッと開いて緑色をしたちっちゃい人がきょろきょろしていて、出て玄関から外へ出て行きました。 友達に話したら「それは麦茶の妖精だよ」、と言っていました。 誰も信じてくれないが本当なんです。
ロンドンオリンピック、インタビューを受けた時に何をしたいかと言われて、パフェを食べたいと言ってしまいました。 日本に帰ってきたら沢山いただき、2週間5食食べていました。 優勝した瞬間初めてうれし泣きしました。 リオデジャネイロオリンピックでは銅メダルを獲得しました。
現在はアイスクリームの事業の製造販売をしています。 大学2年の時に主人との出会いがありました。 同部屋の彼氏の親友でした。 彼は四国で6年間は遠距離恋愛という事でした。 リオデジャネイロオリンピックの代表に決まった日が、プロポーズを受けた日でした。 2016年11月に結婚し翌年長女が生まれました。 2019年現役引退。 会社の中にアイスの事業があってやりたいと思いました。 柔道で学んだことがいろいろ役に立ちました。 コロナが始まって店は閉めて、通販に力を入れています。 柔道とのかかわりは迷っていますが、柔道から学んだマインドを伝えていきたいと思っています。 どんな世界でも最初はキラキラした世界に見えて、頑張ってみたけどうまくいかないという事はよくあることだと思いますが、うまくいかなくて当たり前だと思います。 うまくいかないからと言って逃げて欲しくない、うまくいかない時が一番成長するチャンス、一番自分を知るチャンスでもあるので、乗り越えた時を想像しながらわくわくしながら乗り越えて行って欲しい。と思います。 夫とは血がつながっていないので、子供以上に「ありがとう」、「愛しています」と毎日伝えています。