2021年12月8日水曜日

沖侑香里(きょうだいケア経験者)    ・【人権インタビュー】「偉いね」と言わないで

 沖侑香里(きょうだいケア経験者)    ・【人権インタビュー】「偉いね」と言わないでヤングケアラーの苦悩

ヤングケアラーとは家族の介護やケアなどを担い、年齢や成長の度合いに似合わない重い責任を負っている子供のことを言います。   国は今年初めて全国で実態調査を実施し、中学生のおよそ17人に1人、クラスに1人はヤングケアラーがいることが判りました。   静岡県出身の沖さんは重い身体障害と知的障害がある妹の介護を27歳まで続けました。  沖さんのように障害がある子供の兄弟や姉妹のことをひら仮名表記で「きょうだい」と言います。 ヤングケアラーそして「きょうだい」として幼いころからケアを続けてきた沖さんがどんな悩みを抱えてきたのでしょうか。 

ようやく社会的にヤングケアラーという言葉とか、その言葉をさしている子供とか若者がどういう状況に置かれているか、知れ渡り始めたととらえています。  妹とは5歳離れていました。    気が強い妹でしたが、生まれて1,2歳の頃に進行性難病を発症して、身体障害と知的障害の重複障害でした。   段々いろんなことが出来なくなり、妹が小学校高学年、私が中学、高校の頃はほとんど寝たきりで、誰かの介助がないと生きて行けない状況になりました。   私が小学校低学年から3,4年生の時には妹が転ばないように見守るとか、食事も普通のものからミキサーでとろみをつけるものに変化していったので、母親が作ったものをミキサーでとろみをつけるというようなケアから始まりました。   病気も進行してきて痰の吸引とか医療的ケアも必要になってきました。(中学生の頃)  当時は当たり前だったので負担になるとは思っていませんでした。   祖父母、両親との6人家族でしたが、私が母親の次に妹のケアの範疇に入っていました。   

学校には問題なくいけましたし、友達と遊ぶ時間も比較的確保できていました。   ありのままを友達、先生に話せない精神的負担感は有りました。   母親が大変でしたし、私は妹を支えるという思いしかなくて、気持ちに蓋をする感覚が強かったです。  我儘は言わないとか自然と身に付いてしまっていました。  大学進学の時に周りも県外に行くことが当たり前な学校だったので、その流れのなかで私も県外の大学に行きました。  心の中では負担をかけてしまうので離れて良かったのかなあとか、そういう思いはありました。   

学生生活を謳歌していましたが、人の顔色をうかがうとか、自分の意見がないという事に気付いて、そのつらさを感じてゆきました。   つい先に相手がどう思っているのか、考えてしまう。  自分を変えていきたいと思いました。   学校での或るミッションのあるプロジェクトに参加していましたが、どうにもならなくて、或る時そこの社長に泣きながら相談しました。  これまでの妹との生活について話し始めて何時間も話しました。    社長が「沖さん これまで頑張ってきたんだね」と言ってくれました。   その言葉がとっても衝撃的でした。   妹のことをちょっと話すと、それまでは「もっと頑張れ」というような言葉がけが多かった。  社長の言葉で自分は頑張ってきたんだという思いが湧き肩の荷が降りたような感覚がありました。   ありのままに聞いてくれたという感覚を私には持てた、という事があったと思います。

テレビ番組で病気や障害のある方の兄弟の特集が二夜連続であり、それを見ていたら私と同じようなことを言っていました。   自分の意見が持てない、将来の生活の不安、親の顔色を見てしまう、というようなことでした。  原点は子供時代の家庭環境とか妹とのかかわりにあるんだということに繋がっていきました。  社長との件とこれが転機になったと思います。

愛知県の会社に就職して25歳の時に母が亡くなりました。   妹のケアのために静岡県に戻りました。    平日の夜間と週末は母親が面倒を見ている生活で、母親が入院したと同時に妹の生活が立ち行かなくなりました。   最初は3か月の介護休暇を取って、妹の環境を整えて会社に戻ろうと決めていましたが、居なくてはいけなくなって生活していましたが、2年後に妹が亡くなりました。   大人になってからのケアは自分で出来る範囲のケアを決めたり、これは無理ですと言えたり、とかが大きな違いかも知れません。

「静岡きょうだい会」の代表を務めています。   兄弟、姉妹に障害のある方たちの居場所作り、語り場を作っているところです。   10~70代までの年齢の方が子供時代の話、今悩んでいること、将来の不安などについての語り合いの場を作ったりして、延べ300人ぐらいの方と出会ってきました。    同じ仲間がいることを知って、話し合える場が出来たこと、それがよかったという意見が多いです。   社会のなかでの病気、障害の偏見を理由に口止めされるケースもあると聞きます。  家族の悩みとかはなかなか話せない。 問題のある家庭とは思われたくないとか、可哀そうと思われたくないとか、いろいろあると思います。   ケアしている人には自分を責めたり、一人で我慢しなくていいよ、という事は伝えたいと思います。   目の前の人が何を言いたいのか、その人の目線に立とうとするとか、受け取ろうとするとか、という目線があるとお互いが優しくなれる気がします。一人で抱えていることを、話したり聞いたり一人で抱え込まない社会であってほしいと思います。  子供は言葉で表現すること、状況を説明する事が難しいところがあり、そういったことを理解したうえで、寄り添う姿勢、ちょっとしたサインを見逃さないようにアンテナを高くして、引き出しを沢山持っていることが必要かと思います。