頭木弘樹(文学紹介者) ・【絶望名言】お金
「私はぎょっとした。 私は金のためにずーと働いていたのだ。」 佐野洋子
昔はツケがきいて、大みそかにはツケを何としても取らなければいけない。
「大みそか首でも取って来る気なり」 川柳
「大みそか首でよければやる気なり」 川柳
「大みそか越す
に越されず越されずに越す」 狂歌
「私はぎょっとした。 私は金のためにずーと働いていたのだ。」 佐野洋子
佐野さんは代表作として、絵本『100万回生きたねこ』、エッセーも書いています。 改めて考えてみるとお金のために働いてたんだなあと言う思いにとらわれます。 人生の終わりという時に自分の一生を振り返ってみて、金のためにずーと働いていたと思ったら、ちょっと悲しいかもしれない。
「お金は仕事をした後のカスだよ。」 渋沢栄一
日本の資本主義の父ともいわれる。 約500の企業を育てて約600の社会公共事業に関わった。 これは晩年に息子に言った言葉です。 仕事が大切なのであってお金は仕事によって生じるだけのものだと思えというようなことですね。 お金が目的ではないはずが、ついつい、いつの間にかお金が目的になってしまう。
アメリカの実話で、店を開店したが、子供が石を投げて窓ガラスを割ってしまって困ってしまう。 主人は子供たちに、「これから毎日お金をあげるから毎日石を投げて窓ガラスを割ってくれ」と頼むんです。 毎日お金を渡して窓ガラスを割るが、毎日お金を渡す金額を減らしていった。 そうすると子供たちのやる気が減ってしまう。 お金をやらなくなると子供たちは窓ガラスを割らなくなり解決した。 いつの間にかお金が目的になってしまう。
「財布が軽ければ心は重い。」 ゲーテ
原文を直訳すると、「空の財布 病んだ心」という意味になる。 お金が欲しい時は何かを買いたいだけではなく、安心が欲しいとか、不安を消したいとか気持ちのせいが多いと思う。 お金がいくらあっても不安は消えない。 減っても不安は残る。 お金だけには頼れない。
「わずかに売り買いすと言えども、なお銭を蓄うる人無し。 その多少に従いて、節級して位を授けよ。」 続日本紀
711年10月23日 畜銭叙位令の言葉 お金を貯めた人には地位を与える。 お金で地位を買えるということです。 意図的にお金と権力を結び付けたという点で、凄い法令だと思います。 最初の流通貨幣の和同開珎が発行されたのが708年。 お金と権力が結びつかなかったら、ここまでお金儲けにこだわる人はいなかったと思う。
「高利貸の金を借りる様になった。 段々深みに落ちて行ったので再び這い上がることが困難になっているのがその場の自分にはよくわからなかった。 足の裏に皮底の砂が触れるところまで沈んでいった。」 内田百閒
最初友達に借りて、質屋に通うようになり、質屋に持ってゆくものが無くなり、金貸しからお金を借りる。 高利貸しから借りるようになる。 段々深みにはまってゆく様子が自分ではよくわからなかった。
カエサルは 有力者に物凄くたくさんの借金をしていて、借金のせいで出世できたという話もあります。 カエサルが失脚したら借金を返してもらえなくなるので困るわけです。 だから有力者が一生懸命カエサルを応援したわけです。 借金が少額のうちは債権者が強者で債務者は弱者だが、額が増大するにこの関係は逆転するという点をカエサルは突いたのであった。
「賭博は運命が普通には長い年月をかけてしか生み出さないあまたの変化を一瞬にしてもたらす術でなくて何であろうか。 ほかの人々にあってはその緩慢な生涯に散らばっている数々の感動を一瞬にしてかき集める術でなくて何であろうか。 全生涯を数分にして生きる秘訣でなくて何であろうか。」 アナトール・フランス
お金に関してはギャンブルも大きなテーマです。 ギャンブルは胴元が儲けてほかの人は損する仕組みなんです。 ギャンブルだと一瞬にしてお金を手に入れることができる。 あるいは一瞬にして破滅する。 人生が凝縮されていて感動や衝撃も大きい。 ドストエフスキーは大のギャンブル好きで、何度も破滅しかけている。 すっからかんになって帰りの旅費を妻に頼む。 旅費が届いて最終列車に間に合わなかった。 賭博場があり、見るだけだと心に誓ってはいってみるが、自分の予想した目が次々に出るわけで、ギャンブルをしろという神のお告げではないかと思う。 ギャンブルに参加すると思った目が出なくてすっからかんになる。 ギャンブルはやってはいけないものだと思います。
「友人の一人が離婚した時、マンションを奥さんにあげてローンを僕が払う事になった、と言いながら満面の笑みを浮かべていたことを思い出す。 そんなにも離婚したかっただなあと思って感動する。」 穂村弘
このエッセーを読むとお金より大切なものがあるんだなあと思います。 きれいごとではなく言われると実感します。
「ひどい貧乏だった。 貧乏は嫌だったが一方貧乏だという事が気休めにはなった。
俺はこの世で得をしているわけじゃない。 うまいことをしているわけじゃない。」 尾崎一雄
今の時代は抜け目なくうまくお金をかせぐほうが尊敬されますが、昔は抜け目なく立ち回るのは恥ずかしい事でお金儲けしないことはそれだけ立派な人格だからという風にまったく逆の考え方もあった。 自分の貧乏に誇りを持つことが出来た。 そういうことは今にもあって良いんじゃないかと思います。