平野レミ(料理愛好家) ・【美味しい仕事人】キッチンから幸せ発信
料理は楽しくて美味しければルールはいらない、という言葉通り自由で斬新それでいてホッとできる味わいのレシピを生み続けている平野レミさん、そのアイディアはすべて家庭のキッチンから誕生しています。 仕事から帰宅してお腹を空かした、二人の息子たちを待たせないで食べさせたいという思いが、スピード料理に繋がりました。 最愛の夫イラストレーターの和田誠さんが亡くなって2年ですが、心の空白はとても埋めることはできないとおっしゃいます。 でも今は夫と共に楽しんだ家族のおいしい味と愛情を料理で孫たちにも伝えていきたいと平野さんに伺いました。
私は料理学校にも行っていないんで、料理愛好家と言っています。 NHKの「今日の料理」の番組で初めて出演した時に、トマト料理で手でつぶしました。 手でつぶすと表面積が広くなるので、うどんとかパスタに味が浸み込む。 しかしクレームがきたそうです。 新聞の評価は斬新という事でした。 昔はトマトは観葉植物だったが、祖父は外国人(ヘンリイ・パイク・ブイ)でした、「牛トマ」を父に継いで、父親から私たちに、子に孫にと継いできました。 (父はフランス文学者の平野威馬雄。夫はイラストレーター、エッセイスト、映画監督の和田誠。長男はTRICERATOPSの和田唱。 長男の妻は女優の上野樹里。次男和田率の妻はモデルで食育インストラクターの和田明日香。従兄弟はトークライブハウス経営の平野悠。)
シャンソン歌手として、レコード、CDも出している。 パンフレットの写真に名前が辺見マリと平野レミを間違えてしまっていて、可愛いいからこの子を使おうという事になり、行ったら吃驚された、そこから私の人生は変わってしまいました。 ラジオ番組を聞いて和田誠さんからある人に紹介してほしいという事で、会ってしゃぶしゃぶを食べておいしかったのでタレの作り方とか聞いて、その聞き方がとっても良かったという事で、結婚する事になりました。 夫は一昨年83歳で亡くなりました。 東京で「和田誠展」が開催されていました。 作品集が2800ですが、その5,6倍あります。 映画監督でもあります。 マザーグースの翻訳もしてご夫婦マザーグースという作品があり、120曲になって作詞もしてます。 夫とは会って10日で結婚を決めました。 交際範囲の広い人でした。 顔を出すのが嫌いな人で、結婚式もしていなくて、地味な人でした。 ステーキを食べながら結婚行進曲を掛けて、シャンパン飲んで、それから47年間、あっという間でした。
あんないい人と結婚して、一番の人と結婚しないほうがいいと思いました。 後がつらいなと思いました。 会いたくて哀しくて寂しくてどうしようもならない。 でも47年間楽しかった方がいいと思います。 日常の細かなことをよくメモに絵も描いて渡してくれました。 結婚して亡くなるまで食べさせてあげる回数を計算してみたら、意外とすくないので、この人のために真面目に一生懸命にご飯を作ろうと思いました。
夫から簡単なスープの作り方(5秒もかからないぐらい)を教えてもらい、目からうろこでした。 夫、子供たちへの料理を作ることで、早くうまく作れるようになりました。 息子二人も料理はうまいようです。 「ごっくんコロッケ」 キャベツの千切りに上にチンしたポテトを置いて、ひき肉と玉ねぎのみじん切りにしたものを炒めて、塩コショウしてその上にソースをかけて、ハイ出来ましたと、子供たちに出しました。 パン粉がないと言われて、コーンフレークをボロボロにして置いたら、本当にコロッケになっちゃったと言われました。 ごっくんすると味がコロッケになってしまう。 買うよりも家庭料理を作ってほしい。 「台満餃子」 餃子の具を色々混ぜて平らにしてチンして、その間に熱湯の中に餃子の皮をいれて、透き通ってきたら、水切りして、チンした皿の上にのっけます。 その上に酢とラー油と醤油をかけて食べてもらいました。 これは怠慢だと言われ、「台満餃子」としました。 家族の絆、ベロシップと言っています。 楽しかった思い出と、大きくなったがっちりした子供の手を握った時に夫が半分入っていると思ったら、心のつかえがストーンと取れた感じがしました。 夫の絵、写真を見て過ごそうと思います。