2021年12月6日月曜日

松中権(LGBTQ社会活動家)       ・【人権インタビュー】故郷を帰れる街に

松中権(LGBTQ社会活動家)       ・【人権インタビュー】故郷を帰れる街に 

今月10日までは人権週間です。   LGBTとはレズビアン(Lesbian)、ゲイ(Gay)、バイセクシュアル(Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)という各単語の頭文字をとってLGBT。  最近はもっと広くとらえたLGBTQという言い方もします。  Qはクィア(Queer)もしくはクエスチョニング(Questioning)。  今年夏に開催されたオリンピックでは多様性と調和が大会の理念として掲げられ、LGBTQなど性的マイノリティーであることを公表して出場した選手が180人と過去最多となりました。   ここ数年の間にLGBTQをめぐる社会の意識がすこしづつ変化してきています。  一方広告会社の調査によると日本のLGBTQ当事者に自分がLGBTQであることをカミングアウト(公表する)出来る社会ですかと質問すると、まだまだそんな社会ではないという回答が7割以上もあり、日本の社会では差別や偏見が根強く残っていることが判ります。   自身も当事者であり、長年この問題の理解、促進に取り組みを続けているNPO代表の松中さんに、日本の現状や、目指す社会の思いについて伺います。

保育園のころから男の子の友達といると楽しいなとか、その子が誰かとおしゃべりをしていると悔しいなとか、という感覚は有りました。   誰かが好きかなと感じ始めたのは小学校の高学年からですかね。    もやもやしていましたが、パッと霧が晴れたような感覚になったのは、ある番組に登場したキャラクターのお陰でした。  ホモだという事でした。  同じ人がいたと思いました。    図書館で調べて、このことを誰かに知られてしまったら、自分の居場所がなくなってしまうだろうし、両親からも追い出されてしまうかもしれないし、友達からいじめられるかもしれないと思って、空元気を演じる子供時代を過ごしてきたと感じます。    LGBTQは子供の頃気づくと言われています。  自分が当事者であるという恐怖と親の期待に応えられない、親を裏切ってしまうんじゃないかという怖さ、プレッシャーを感じて居場所を失ってしまう若者が多いのではないかと思います。   

東京の大学に行きたいと思ったのは、金沢に居場所がないと気づき始めて、いつかは東京、いつかは海外に行きたいと思っていました。  大学ではフィールドホッケー部に入っていましたが、合コンとかでは盛り上がっているふりをしていました。  このままだと自分の人生はどうなっちゃうんだろうと、大学4年生の頃は考えました。   オーストラリアでは国を挙げて多様性を大切にしているという事で、1999年、4年生の冬から2年弱メルボルンに留学することにしました。   一番最初にしたことはカミングアウトでした。    クィア(Queer)ルームがあり、そこで物凄く緊張してカミングアウトしました。  そうしたら「I See」 でした。  こんなに素直に受け止めれくれるんだと吃驚しました。 「ちなみに彼氏は?」と次に聞かれました。 凄い開放感があり恐怖感が無くなりました。 

2001年大手広告会社に就職したが、カミングアウトはしませんでした。   3年目にこの上司なら伝えてもいいかなと思って、タイミングを計っていましたが、機会を失ってしまいました。   なんで又同じ人生を歩んでいかなければいけないのか、という思いがあり研修制度を利用してニューヨークに行く機会を得ました。  2008年オバマ大統領が誕生して「We can change」という事で凄く盛り上がっていました。  自分も社会を変えて行くことに関わりたいと思って、帰国後NOP法人を立ち上げ、会社でもカミングアウトしようと思いました。  2010年二足のわらじがスタートしました。  ばれないように過ごしてきたので皆さん吃驚しました。   私の場合は周りに恵まれていると感じます。LGBTQの活動を通してカミングアウトしやすいような社会つくりをしていきたいと思います。  まだ差別や偏見が根強く残っています。   

一橋大学アウティング事件、 一橋大学法科大学院に通う学生が自分がゲイであることを友達に告白したが、本人の許可を得ずに周りにばらしてしまった。  悩み心身に変調をきたし最後には校舎の6階から転落死した。  ニュースを読むとまさにそこにいたのは自分ではないかと思い、全身の血が引いてゆくような感覚でした。   たまたま自分は生き残っているという感覚でした。   社会が変わらないと命を落として行く人たちは毎年生まれてくると感じて、仕事を辞めることを決意して、2017年6月に退社(16年間勤務)、以降LGBTQ活動一本で生活しています。   35年ローンでマンションを買っているし、給料もぐっと減るのですが、どうやって生活するかは考えていませんでした。  回りから応援を頂いて今日にいたっています。  

今年10月10日には地元金沢の有志の方と共に北陸初の金沢プライドパレードも開催。   北陸は保守的な街でどうにかして金沢の街を変えてゆきたいと思うようになって、地元の人とチームを組んで活動しています。  差別、偏見があるのは情報がないという事も一つの原因かなと思います。   パレードの準備段階ではポジティブな反応があり大丈夫かなと思っていましたが、街に暮らす人々が不安に思えてきて、当日を迎えました。  当日は全国から300人以上の方が参加しました。   街の多くの方々が手を振ってくれたり、笑顔で迎えてくれて、北陸も変わり始めているんだと体感しました。  

LGBTQ活動をしていて知った言葉は「アライ(ally)」という言葉で「同盟」とか「仲間」という意味の英単語ですが、そこから転じて「LGBTを理解・支援する人」を指します。 アライ(ally)」という考え方がLGBTQ活動を通して全国に広がっていくといいなあと思っています。