熊谷真実(俳優) ・いつも心に太陽
1960年(昭和35年)東京都生まれ、1978年つかこうへい演出家の舞台「サロメ」で俳優デビューしました。 翌年連続テレビ小説『マー姉ちゃん』の主役、磯野マリ子役で出演し、人気となりました。 その後も舞台を中心に活動しています。 2015年「マンザナ、わが町」のオトメ天津役で第50回紀伊國屋演劇賞個人賞、第23回読売演劇大賞女優賞を受賞。
現在、BSプレミアムとBS4Kで『マー姉ちゃん』を再放送、42年振り。 連続テレビ小説『マー姉ちゃん』は現存する最も古い 朝ドラなんです。 自分の娘の様で不思議な感覚です。 原作は漫画家・長谷川町子の自伝エッセイ漫画『サザエさんうちあけ話』で、主人公マリ子は、長谷川町子の姉・毬子です。 私に重なるところも大いにあります。 私は三姉妹の真ん中です。 中高一貫校で演劇部にいましたが、人気者でした。 高校3年生の時に先生から何になりたいかを聞かれ「スターになります。」と答えました。 結果、『マー姉ちゃん』になりました。 私自身は普通にしているのですが、「太陽みたいだ。」と言われます。 いつも口と心と行いを一緒にしようと心がけています。 中学の時に「少女パレアナ」という小説を読んで、喜びのゲームという、どんな辛い事でも喜びに変えてしまうゲームをするんです。 感銘を受けて私は彼女になろうと思いました。 思考回路がそのようになってしまったみたいです。 発する言葉を脳の奥の方で聞いているようで、いつも前向きな言葉を発していたいと思います。
コロナになって人生の価値観、今までやってきたことなどがすべて一度まっさらになりました。 そのなかでますますポジティブになったというか、強固になりました。 母が私が35歳で亡くなった時に、母が好きで、10年間ぐらい悲しみの中にいました。 今思うと介護の必要はないし、自由でいられる、目も前にいないのは寂しいが、どこかで私を見ていてくれるという風に考えを変えれば、今は豊かで明るい毎日が暮らせていると思います。 離婚もしましたが、離婚をどうとらえるかで、今後の人生が変わってゆくと思うので、そこすらもポジティブです。 役に依って実生活を乗り越えることが出来たり、熊谷真実の役者人生と、実人生とを重ねたり離したりしながら生きている、プラスに変えているという感じがします。 人生「まさかの坂」はいつ来るか判らないので、これをどうやってクリアしようか、と思っています。 人生、心の持ちようで多分準備されているんです。 マイナスにならないように考える、これも人生の癖ですね。 中学の「喜びのゲーム」を自分で癖にしてしまいました。 齢を重ねるという事は私には楽しいし、経験が役に立つ、そしてそれをポジティブに変換してゆける。
去年元夫の故郷の浜松に引っ越しましたが、緑に囲まれた田舎をずーっと探していました。 コロナになって浜松に戻ろうと直感でそう思いました。 土地に呼ばれた、空気に、空に呼ばれたそんな気がします。 静岡県PRの観光のポスターにもなってしまっています。 「浜松市やらまいか大使」にも選ばれました。 父の故郷、福岡県添田町と埼玉県寄居町(映画のロケで滞在したことがある。)の故郷大使もやっています。
井上ひさし先生の作品には何本か出させていただいていて、「マンザナ、わが町」では浪曲師の役をやりました。 演劇賞を二つもいただきました。 井上ひさし先生の“昭和庶民伝三部作”の第三作「雪やこんこん」という大役を頂きました。 これまで市原悦子さん、宮本信子さん、高畑淳子さんと錚々たる女優たちが務めてきて全部見ていて、今度座長・中村梅子役に私が初めて挑戦することになりました。 2年かけてセリフをゆっくり覚えましたが、コロナで飛んでしまいました。 でも今稽古していて、コロナの2年は必要だったのかもしれません、中村梅子役を気負わずに出来るような気がします。
「悲しみのヒロインは2時間が限度」、「人生試練なんてない」とか言っています。 人生自分が主役で回りはわき役です。 綺麗でいたい、綺麗さっぱりで生きたいという事です。 さっぱりさわやかな言葉を使って自分を掃除してゆく。 自分をちっちゃくして周りの人に助けてもらう。