佐藤美奈子(一輪車インストラクター佐藤彩香選手の母) ・【アスリート誕生物語】
佐藤彩香は今、タレントとインストラクターをしています。 勉強よりは愛嬌のある子にという事で、元気で朗らかに育ってほしいと思いました。 明るい子に育ちました。 小さいころは甘い親だと思っていましたが、鬼だと言われました。 門限、片づけ、喧嘩の時にはやめなさいという程度でしたが。 聞きわけは良くないほうでした。 自分でやりたいことしかやらないほうでした。 叱り方は自信を無くすようなことは言わないようにしていました。 私自身があまり褒められずに自信がなかったです。
兄が水泳をやっていたので2歳から水泳をやっていました。 運動は好きでしたが、運動会で活躍するという事はなかったです。 子役の事務所にも2歳から行きました。 小学校1年生の時にテレビで2組の兄弟が対決するという企画があり、我が家の息子と娘に話が来ました。 兄が逆上がり、娘が一輪車に挑戦という事になりました。 最初は全然ダメでした。 プロの手ほどきを受けて1週間で乗れるようになりましたが、対決としては負けました。 その後も1輪車は続けてクラブに入りたいという事でした。(小学校1年生) 子役の事務所は辞めました。 クラブには週に5日行きました。 土、日もレースがありました。 練習には必ず付き添いが必要なので行っていました。 一輪車のメンテナンスは父が、私は衣装を担当しました。 娘からデザインの要求がありましたが、洋裁の経験がないので苦労しました。 タイムをはかったり、ビデオを撮ってフォームの修正したり、技の練習では手を貸して手伝ったりしました。
アドバイスは自信を無くすような言葉はしないで、前向きな言葉を投げかけました。 褒めると乗っかることが多かったです。 3時ごろ学校から帰って練習に備えて昼寝をしていました。 練習から帰って9時過ぎから夕ご飯、お風呂、宿題をやっていました。 待って家族全員で夕食はしていました。 私もクラブに行ってしまうので、中途から兄も一輪車クラブに入会させました。 勉強はあまりうるさくは言いませんでした。 魚、野菜、果物はあまり食べませんでした。 食べたいものを食べさせればいいなと思っていました。
小学校5年生の時に、全日本一輪車競技大会のスプリント競技で初めて優勝しましたが、その時に世界チャンピオンになると言いました。 前年は8位で、優勝を総なめにしていた子がいたので、優勝したのでびっくりしました。 トップアスリートを育てる監督、コーチはいないので、クラブの先輩の父親、母親からいろいろ聞いたり、先輩から直接聞いたりしていました。 中学生になると身体が急に大きくなってバランスを崩してタイムが出なくなるようになりました。 スランプだと気づかせないようにしようと思て、前向きになるように気を使いました。 スランプは自覚させてはいけないと思っていました。 中学2年生の冬から調子が悪くなって、3年生の夏まで続いたと思います。 練習は毎日続いたし、やめたいという事も言いませんでした。 高校2年生で世界大会で優勝して世界チャンピオンになり、我が子ながら凄いと思いました。
兎に角負けず嫌いでした。 種目によって日本選手と海外の選手では違ったりするので、海外よりは日本人の選手の方が手ごわい感じがします。 日本人がかなり上位を占めています。 負けると物凄く悔しがって一人で泣いていたようです。 愚痴は聞いてやるようにしていました。 見てあげると子供は頑張るので、付き合ってあげたら出来るようになるのかも、と思ったりしていました。 綾香の望む親孝行とは愛嬌のある人でいる事です。