小池恭子(絵手紙作家) ・ぬくもり贈る手紙文化を残したい
葉書に大きく描かれた絵と短い言葉が添えられた絵手紙、小池さんは講師として指導するほか、手紙を書いて送るという手紙文化を残したいと普及活動に努めています。 小池さんが絵手紙を始めたのは書道家で絵手紙の創始者として活動する夫、邦夫さんの影響でした。 小池さんが力を注ぐ手紙文化の普及活動や絵手紙の魅力又夫婦二人三脚の歩みを伺いました。
可愛い寅、強そうな寅、二つの寅を描いてありますが、今どちらにしようか考えています。 絵手紙のキャッチフレーズが「下手でいい、下手がいい」 が合言葉で、素直に自分の気持ちを伝えようと一生懸命書いたものは伝わると思っています。 だれでもすぐに出来ます。
書道の墨と筆を使って輪郭を描いて、絵の具も日本画で使う絵具を使います。 筆の一番上の部分を軽く持って、筆を真っ直ぐ立てる。(線香花火を持つような感じ) 対象物(虎のバッジ)を見ながらゆっくりと線を引いてゆく。 大きく大胆に描いた方がいいです。 色付けは手早く線に重ならないようにファンデーションを塗るような感じで行う。 下書きもなしです。 消しゴムに名前の頭文字をひらがなでハンコを作って押します。 自分の気持ちを短く添えて送ってください。 相手を思い浮かべて描くということ、相手が受け取ったところで一つの絵手紙が完成します。
夫の小池邦夫が昔、絵手紙教室を開いたら生徒が二人しか来なかった。 私も一緒に描けと言われて、描いてみたのが始めです。 その日の晩から毎日描いていました。 息子が幼稚園の頃で、幼稚園のいろいろなことを晩に描いて母に送っていました。 今思うといい思い出になります。 3年続いたら本にしてあげるとか、展覧会を開いてあげると夫から言われて、「おかあさんは3年生」と言いう本を作ってもらいました。 書き溜めたものを銀座で展覧会をしてもらいました。 それをきっかけに絵手紙教室の依頼が入るようになりました。
夫は四国の松山出身で、子供の頃に書道家になりたいと思ったらしいです。 大学でも書道を勉強したが、手本を習って展覧会に出したり賞を貰ったりするのが主流の書道ですが、それでは自分の考えて居た書道家になるのとはちょっと違うと思ったらしくて、独自にいろんな勉強をして、自分らしさを出すには手紙が一番いいという事に気が付いたらしいです。 友達に手紙を送り続けて、絵のある手紙なので絵手紙という名前を付けて展覧会を開いたりして描き続けてきました。 結婚した当時もアルバイトをして年に1,2回展覧会などをしていました。 50歳になった時にアルバイトを辞めて絵手紙一本でやりたいと言いました。 不安もあったが、応援しようと思いました。
東京の狛江市に住んで40年ぐらいになり、狛江郵便局で夫が初めて絵手紙教室と絵手紙展を開かせていただいて、2007年に絵手紙の発祥の地という事で、街おこしの実行委員会を立ち上げて、絵手紙の体験教室とか絵手紙を街中に飾ったりとか、狛江市が応援してやれるようになりました。 小、中学生にも絵手紙を描いてもらうという事が始まって、教えに行ったりしています。 子供は邪念がないので素晴らしい絵を描いています。 手書きが減っているので、手紙を描くことと手書きをこれから先も残したいと思います。
60歳を過ぎて検査入院した時に、絵手紙を夫に出したら、家族には出していなかったと気づいて、それから毎日私に絵手紙を送ってくれるようになりました。 80歳になった今も続いています。 最初の頃は切手を貼っていましたが、今は貼っていないものをポストに入れてもらっています。 手紙の中でしか知り得ないこともあります。 手紙を送ったら添削されたような感じの手紙が来て、これまで手紙は受け取り専門ですが、今日はチャレンジという事で夫に送る手紙を持ってきました。