戸田奈津子(映画字幕翻訳者) ・いくつになっても学びはある
コロナ禍で作品も来ないで空白の時間でした。 本の翻訳をしたり今までにないことをやってそれはそれなりによかったと思います。 ワーグナーのオペラなども楽しみました。 映画字幕翻訳のきっかけとなった映画「地獄の黙示録」の中にワルキューレの騎行」というワーグナーの曲が使われている。 ヘリが行くところが有名なシーンですが、コップラ監督が演出でしたかと思われるが、実際は違って本当にアメリカ軍がワーグナーの曲を掛けていたんです。
映画字幕翻訳は20年間チャンスがなくて、40歳過ぎてようやく仕事が来て、ブレークしてそれからは本当に沢山仕事が来るようになりました。 年間50本の翻訳が来ました。 時間が限られているので一本1週間から10日でやらなければいけません。 映画が好きだったので忙しかったけれど苦にはなりませんでした。 ダントツに難しいのはコメディーで、言葉の遊びですから、日本語を知っていてもどうにもならない問題です。 アメリカンジョークをそのまま伝えても全く意味が通じない。 映画字幕翻訳は今までに1500本ぐらいになります。
「枯れてこそ美しく」 先月刊行。 村瀬実恵子さん(元コロンビア大学の名誉教授にして、海外における日本美術史研究のパイオニアとして知られる。)との対談本で、私より一回り上の96歳でした。 ニューヨークでお会いして、凄く感銘して日本に帰ってきて、たまたま出版社の人にこのことを言ったら、本にしましょうという事になりリモートで対談することになり本が出来上がりました。 共通なことが多くあり、戦争体験、体験を通して感じたこと学んだこと、性格的にも似ていて、先生は美術が好きで私は映画が好きでお互いに好きでやってきて、そういったところも似ていました。 仕事が面白くて先生も私も結婚していません。 1時間余りで3回対談しました。
私が知らないことを伺うというのが中心になっています。 この歳になって友達は宝物だと思います。 本や映画を読んだり見たりすることは未知を知りたいという事だと思います。 人間一人が人生で経験できる事なんてほんの少しですよ。 コンピューターにはできないイマジネーションほど人間にとって素晴らしいものはないと思います。
9歳で終戦を迎えました。 鬼畜米英が日常だったのが、大げさに言うと一夜にしてアメリカ万歳なったわけです。 本当に私は戸惑いました。 焼け野原で文化が何にもない中に、ある日突然アメリカの映画が入ってきました。 灰色の世界にバラ色の世界が降ってきました。 見るもの聞くもの驚くことばっかりでした。 映画にはまってしまいました。 「風と共に去りぬ」は戦争中に作られたが、日本にはずーっと入ってこなくて、戦後10年ぐらい経ってきました。 子供の頃は親とかに連れられて行っていましたが、中学、高校では自分で観に行くようになりました。 「第三の男」を観て決定的に映画のすばらしさを感じました。 50回ぐらいは観ていると思います。 中学で初めて「A B C」を見ました。 映画があったから英語に興味を持ちました。 「第三の男」の字幕の中に「今夜の酒は荒れそうだ。」というのがあり気になりました。 何て言っているのか聞いたら 「俺はこれを吞んじゃあいけない」という言葉でした。 字幕は全然違うがその場にぴったりだと思って、字幕は翻訳ではないと思いました。 字幕翻訳になりたいという根本はそこに有ったと思います。 ドラマのなかでかっこよくちゃんとその人の気持ちが現れるような表現をすることが重要なんです。 AIでの翻訳は感情がかかわって来るので難しいです。