2021年7月28日水曜日

渡辺隆次(画家・エッセイスト)     ・【心に花を咲かせて】自然の居候として生きる

渡辺隆次(画家・エッセイスト)    ・【心に花を咲かせて】自然の居候として生きる 

武蔵野美術大学で西洋絵画を学んだ渡辺隆次さんは、幻想的な半抽象画という独特な画風で知られています。    特に渡辺さんと言えばキノコだよねと言われるほどキノコの絵が知られています。   渡辺さんが収めた山梨県甲府市にあります武田神社菱和殿の天井画にもたくさんの渡辺さんが描いたキノコが描かれています。   作品の多くはアトリエのある八ヶ岳山麓の自然の営みがとても重要なモチーフになっていて、最近ではキノコの胞子をそのまま活用した作品を数多く描いています。  81歳になった今も精力的に制作活動を続けています。  自然から何を得て何を描きたいのか、山での暮らしから生まれる絵を通して何を伝えたいのか、伺いました。

東京生まれですが、山梨県北杜市で活動を続けていて、44年になります。   豊かな自然がここにはあります。   植物、動物、昆虫など大変な数の生き物がいるという事に気づくわけです。   その中に人間としての私が居て、居候させてもらっている、そういった感じです。   八ヶ岳、南アルプスなどを写生する場所でもあります。   何故か恐れ多いという感じがして、私には風景画を描く感じがしません。   東京にいる頃も半抽象画のようなものを描いていました。  形のあるものを手繰り寄せて、自分の感受性と織り交ぜて、現れてくる色や形はどんなものだろうかと、そういう追及の仕方の絵です。   ここにきてキノコの存在に気が付いて、これは一体何物だろうと熱烈な好奇心がわきます。  徹底的に知りたかった。   富士山の北麓にはどのぐらいのキノコがあるのか、世界の菌学会が集まってキノコ狩りをしました。   約500種類ぐらいになりました。  キノコは1万種類ぐらいありますので少なかったです。  シーズンに歩くと数十種類は目にします。  近辺が開発されるようになって、森が壊される前にキノコをスケッチしておかなければと追われるような気分もありました。   

どんなキノコなのか図鑑を買ってきては調べました。  開発され消えてゆく数十年間を目撃してきました。  スケッチした絵をそのまんま絵にしようとは思っていませんでした。キノコが地球上の生物の重要な役割をしているという事に気が付きました。  植物、動物を一方的に人間が消費していると、絶えてしまうわけです。  植物、動物を改めてよみがえらせてくれる力を持っているんだという事に気が付きました。  倒木、落ち葉が消えれゆくが、腐るというところに必ず菌類の存在があるわけです。  有機物を無機物にして又新しい命を生んでくれるわけです。 倒木、落ち葉、死骸など掃除してくれるのが菌類なわけです。   

キノコが出す胞子の文様を使った絵画が最近多いです。   キノコをテーブルにおいて置いたら翌日不思議な文様が出来ていました。  霜降りシメジという種類で胞子が白で、黒いテーブルに幻想的な不思議な文様の、キノコが描いた絵がありました。  それが最初に気づきでした。   画材は絵具ではなく胞子というところまで来てしまいました。  大きな構図だと毎年じわじわと10年ぐらい使って描くものもあります。  ですから思うようなキノコを待っている画用紙がいっぱいあります。   胞子にはいろいろな色の胞子があります。  ピンク色など珍しいものは10年、20年待たないと駄目でしょうね。     

胞子が空気中に漂っていて、地球全体が様々な色の胞子に柔らかく包まれているという幻想を持ちました。   東京タワーが出来た時に高いところに空気中に漂う花粉だとか様々なものを採集する装置があるそうで、7色の胞子に包まれているのではないかという想像を持ったわけです。  それが絵に成ったりしています。  宗教画には光が描かれたり、仏像画には光背があるが、光が柔らかく地上を射しているが、キノコの太陽とか月のような文様を見るとそれに重なりますね。    

胞子紋の周りに何を欲しがっているか、そんなことを考えて自然に広がって行ってしまいます。  日常のスケッチで自然界をため込む作業をしていて、描く時にはふわーっと自由に出てくる、そんな感じです。  

武蔵野美術大学を出てからどの団体にも入らないで来ました。    自分なりに蓄えた自分なりの技法と表現を最後まで持続したいというのが夢です。   先輩にグループでやらないかという事がありグループ展をやって、尊敬していた方が見てくれて、銀座の青木画廊を紹介してくれたのが、個展をするきっかけでした。 (最初の個展は26歳)     

学芸大学に通って学んで、絵画療法という形で指導する為に精神病院に通っていました。  絵を描くことで私自身が癒されます。  描いているうちに徐々に患者さんの顔が変わってきます。  

10代のころは小説に没頭していました。 それがエッセーへの道へと行きました。  私にとっての豊かさとは自然のなかで自分の居場所をちょっと頂いて、そこで深呼吸できるような人生でしょうか。  八ヶ岳にいることがそれにぴったり合います。  私にとって描くといことは、今生きている感謝を祈る姿が絵なんですよ。