2021年7月25日日曜日

岡林信康(シンガーソングライター)    ・23年ぶりのアルバムに込めた思い

 岡林信康(シンガーソングライター)    ・23年ぶりのアルバムに込めた思い

1946年7月22日 滋賀県近江八幡市生まれ、実家は教会、父親は牧師という環境で育ち、同志社大学神学部に在学中に作詞作曲を独学で始めました。   1968年「三谷ブルース」でレコードデビュー、その後「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」など発表した曲が次々とヒットしていきます。   「フォークの神様」として若者たちのカリスマ的な存在になりました。    その後いったん音楽活動から距離を置いた時期を経て再び音楽の世界に戻ってきてからは、演歌、民謡、ポップス、ジャズと縦横無尽に活動してきました。  そんな岡林信康さんにお話しを伺いました。

75歳になりました。  2018年にNHKで「岡林信康50年の軌跡」という特集番組を行う。   エンヤトット」のCDはなかなか売れなくてどうしたものかと思っていましたが、エンヤトット」というのは生で聞くもので手拍子でという、そういうスタイルだという事が判りまいた。  2018年の50周年コンサートの後、終活、自分が亡くなった後を整理しておこうかと思って、そういうことをやりました。(半年間)  その後コンサートを開催しはじめるが、コロナで中止になってしまいました。  去年の6月から9曲を作って、アルバムにできるという事で「復活の朝」というタイトルでアルバムを出しました。  新しい曲を作ったのは10年振りです。   きっかけはコロナ禍で工場が停止したり、自動車が動かなくなって北京の空に青空が戻ってきたという新聞記事を見たのがきっかけでした。  

「復活の朝」            作詞作曲:岡林信康  歌:岡林信康

人の営みがどうであれ、自然は回って動いているという、人間の傲慢さに気づかされたかもしれない。  体験したことしか歌に書けませんから、75歳になれば75歳の僕しか書けないです。  私小説的とか同世代向けにとか、そういった意識は全くないです。  

*「コロナで会えなくなってから」   作詞作曲:岡林信康  歌:岡林信康

当たり前のように約束すればできると思っていたが、いつまでたっても会えない。 当たり前のように出来ているうちは有難みも判らないし、たいしたことではないがそれが出来なくなって、奪われてみると実はこれが一番大事な価値のあることだったんじゃないかと、そういう事に気付かされて行く。  人と人との交わりが最大の喜びであって、人と会ってばかっぱなしをすることがどれだけ素晴らしいことだったのかなあと、コロナによって気づかされたところがあると思います。

1968年に「三谷ブルース」、そのあとに「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」などが世に出てゆく。  

「友よ」は僕にとって重たい曲でずーっと歌っていなくて、「友よ」で言い切れなかったようなことをいつか言いたいという気持ちがずーっとありました。 光と闇を何度も繰り返して行くのが人生じゃないかなあという、「友よ」では夜さえ去って朝が来ればもうすべて解決してずーと光の中を歩んでゆけるような、ちょっとそういうような幻想があるような気がしていたので、朝と夜を何回も繰り返してゆくという事を描きたいなあとずーっと思っていました。  それで今回「友よこの旅を」を作りました。  「友よ」と「友よこの旅を」の二つがセットになって一つの歌になっているんじゃないかなあと思います。

「フォークの神様」と呼ばれた時代も僕だし、ロック、演歌を作ったのも僕だし、それでいいんじゃないかとそんな気持ちです。  「フォークの神様」と呼ばれていた時は檻に閉じ込められたような窮屈な思いはしていました。  「フォークの神様」という事を覆すためにいろいろチャレンジできたので、「フォークの神様」と言われたこともちょっと良かったのかなあという気がしてきて、得したのかなあと感謝しています。

「友よこの旅を」          作詞作曲:岡林信康  歌:岡林信康