亀田良成(自然観察指導員) ・ボクのまりもが50年後の大発見
東京生まれ、73歳。 小学校3年生の時に訪ねた山中湖で湖畔に打ちあげられているまりもを見つけました。 亀田さんは東京に持ちかえり、水槽で育て5年生の夏休みの自由研究として観察記録を作りました。 それ以来今も自宅の水槽で育てています。 時がながれ、山中湖のまりも絶滅の状況であることを知り、大事に育てたまりもを山中湖に返えそうと思い立ちました。 国立科学博物館の専門家によるDNA解析により、亀田さんが育てたまりもは山中湖のまりも「ふじまりも」であることが確認されました。 幻のまりも発見と新聞やテレビで報道され、亀田さんは一躍時の人となりました。 そして亀田さんとまりもの物語は絵本になりました。 小学生時代に出会った山中湖の「ふじまりも」の研究を今も続ける亀田さんに伺いました。
私が採取した後に山梨県の天然記念物に指定されて、そのあとは取ることが出来なくなりました。 保護されて来たが、今では丸いまりもは見つける事が出来ないですね。
地元では「獅子のフン」とも呼べれている小さなまりもが湖の向こう岸に打ち上げられているという事を聞きました。 岸についてしばらく歩くと馬のフンのような形をした茶色っぽい緑色の2cmほどの藻の塊が見つかりました。 面白いので家で育ててみようと小さなジャムの空き瓶に4つほど選んで入れました。 これが私と山中湖のまりもの出会いでした。(今から65年前 昭和31年の出来事)
絵本の絵はイラストレーターの斎藤俊行さんで時代考証もしっかりされています。 ノンフィクション絵本となっています。 まりもは綺麗に澄んだ水にしか住まないと考えていたので、気を付けて雨水をためておいて入れたり、水道水を日向で干してカルキを飛ばしてから入れるとか、やっていました。 浮いて来たり数が増えたり面白かったのでずーっと育て続けました。 大きさは3年で約倍になりました。 いつの間にか一つ増えました。 小学校5年生での自由研究で観察日記をつけて行きました。 自由研究の後は庭に移して放ったらかしのような状態でした。 その後母が面倒を見ていました。
母親が老人ホームに行くことになって、まりもを持っていきました。 そこでまりもに関心がよみがえってきました。 母親がすごく喜んでいました。 富士山のまりもを調べたら山中湖のまりもが絶滅しそうだという情報をつかみました。 増えたまりもを持ってゆけないかなと考え、山の趣味の仲間の人に相談したら、国立科学博物館(辻先生 藻類の研究者)へという事でした。 DNA鑑定したら富士まりもであることがわかりました。
その年の夏休みには国立科学博物館にそのまりもの展示を加えていただきました。 新聞記者が来て全国紙の記事として大きく取り上げてもらいました。 村の方々が会いに来て、まずは村の水槽で育てようという事になりました。 翌年2012年に里帰りしました。 4つの水槽を設けて、山中湖の水、雨水、ミネラルウオ-ター、山中湖の水道水でどのように育ち方が違うか、調べてみようという事になりました。 まりもがいたことを知らない小学生、中学生にこんな素晴らしいものがあったんだという事と、その中から復元に一人でも二人でもいいから参加したいという子がいればいいと思って、授業をやっています。 絵本を使いながら、国立科学博物館の辻先生と一緒にやっています。 8年になります。 4つの水ではそんなに差がなくて、水道水でも大丈夫だということが判り、東京の水道水でも大丈夫だという事も判りました。
太陽の光を多く当てた方がより成長してくれるのかと思って、アルミホイルで反射光を加えるもの、テープを巻いて暗くするもの、通常のもの、3つを比較しました。 そうすると暗くしていたのが一番よかったんです。 水槽の中はまりもだけではなくて、いろんなものが飛んでくるわけです。 そういったものも成長してしまって、生存競争の中でまりもが負けてゆく状況が起きてきました。 暗いと条件が悪いがまりもは暗くても案外育つんです。 水草,藻だとかは全然育たずに、まりもは水槽内を独り占めできるんです。
潜水調査をしてきて、令和2年の時には以前よりもよくなってきていましたが、今回の調査では前よりもよくないという結果になっています。 山中湖の気温、水温が著しく上がってきている。 水域を区切って本格的な自然復帰のところまでやって行きたいと思っています。 過去のまりもはどうだったのか、きっちりと文章にして残して行きたいと思っています。