2021年7月13日火曜日

山口恵以子(作家)           ・母を送って 私の新しい人生

 山口恵以子(作家)           ・母を送って 私の新しい人生

社員食堂に勤めていた山口さんは2013年に『月下上海』で松本清張賞を受賞、当時食堂のおばちゃんが受賞したと大きな話題になりました。   今、山口さんは食堂を舞台に「食堂のおばちゃん」シリーズや、「婚活食堂」シリーズなど食を中心にほのぼのとした人の触れ合いを描いています。    そして母の介護をまとめた「おばちゃん介護道」や、2019年に91歳の母を送ったことなどをテーマにした、「いつでも母と」を出版しました。  

始めて書いた小説が2007年『邪剣始末』時代劇の連作単編   無名の新人がデビューしようと思ったら時代小説しかないよと言われて書いてしまいました。   時代劇は難しいです。    脚本をやっていたのでセリフは書けるが、小説は文章なので、文章がなかなか書けないのでものすごく苦労しました。  2013年に『月下上海』を出版、松本清張賞を受賞。   生まれて初めて書いた長編小説でした。   ストーリーは突然頭に浮かんだんですが、舞台が昭和17年なので当時のこととか全然知らないので資料を読んで勉強しました。   資料が向こうから来るような感じで、ついていると確信しました。    賞金は関係者とかで1年で全部飲んでしまいました。  日本酒とスパークリングワインが好きです。   飲む前に書きますが、締め切りにもよりますが一日10枚から30枚ぐらい書く時もあります。   一番早いのはエッセーでお返しのメールで送っています。    脚本の元になるプロットライター(すじ書き)をやっていたので書くことは早いです。    

「食堂のおばちゃん」シリーズや、「婚活食堂」シリーズなどはそれぞれ年に2冊出しています。     社員食堂に勤めていましたが、主任になった時に仕入れから諸々全部携わるようになりました。 食堂経営をしていたようなもので、私には運命の小説だったのかなあと思います。

「おばちゃん介護道」2018年11月に出版、「いつでも母と」2020年3月出版。    亡くなる1年前に母が体調を崩して、身体が弱ってきてしまって、その時初めて死が母の身近にあるという事を実感しました。   それがあったので感謝の気持ちで身の周りの世話をするようになりました。   2014年から食堂を辞めて専業作家になって時間に余裕が出きたのでおおらかな気持ちで対応できました。   母との相性がすごくよかったので普通にしていても仲が良かったです。   要介護2でずっときましたが、その後要介護5になって使えるサービスが色々増えてきました。   いろいろな人たちの介護の輪のなかで母の介護をすることが出来ました。  孤立してしまわないように身近な愚痴を言える友達がいたほうがいいです。   介護はマラソンなので、自分が疲れないように、嫌気がささないように、介護する人が倒れたらおしまいなので、たまに手を抜くとかさぼるとか、自分の楽しみを持つとか、そういう事に罪悪感を感じないでほしい。

1958年6月生まれ、63歳、東京都出身。 父親は理髪用の鋏工場を経営。 祖父が興した会社です。  ビートルズが流行って長髪になり、うちのような鋏は要らないという事になり左前になっていきました。   最盛期は従業員は15,6人はいました。   兄2人の3人兄弟です。 子供のころはお絵描きが好きでした。   段々少女漫画家になりたいと思うようになりました。高校時代は好きな人がいてヘヴィメタ、ロックに夢中になってしまいました。  早稲田大学第二文学部に入り、少女漫画家を目指し、作品を持っていったら、絵が下手でやめた方がいいといわれてしまいました。    母に報告したら、漫画家なんて夢みたいなことを言っていないでちゃんと就職を考えなさいと言われるかと思ったら、「そいつは馬鹿だ、あんたの才能を判っていない」と言われて、親馬鹿を通り越して馬鹿親だなあと思いましたが、物語を書きたいという夢をあきらめずにずーっと生きてこられるることが出来たので、母には感謝しています。

親戚の紹介で宝石と毛皮の輸入販売会社に入社しましたが、3年で倒産してしまいました。   宝石鑑定士の免許も取って別の会社に行きましたが、販売の成績は良くなかったです。   勤めながら脚本の学校に行って、段々2時間ドラマのプロットを書けるようになりました。   手がけた中で一番有名なのが市原悦子さんがやっていた「おばさんデカ」でシリーズのほとんどは私が書いていました。   脚本家を目指していたつもりだったが、35歳ではもうその芽はないと、誤っていた事に気づいて、小説だったら年齢制限はないと思って、、44歳のときに丸の内新聞事業協同組合の社員食堂に勤務し、精神的にも落ち着き小説への道を進むことにしました。 

3時半に起きて家のことなどやって、朝5時ちょっと前に家を出て仕事をしていて、昼には仕事が終わって寝るのは9時でした。   2014年に会社を辞めた時が56歳でしたが、力のある長編を書けるのは70歳までだと思って、あと14年しかないと、ここで全力を出さないと後悔すると思ってやめてしまいました。   今日があるのは8割が母のおかげ、2割は丸の内新聞のおかげだと思います。  

男性の5人に一人、女性の7人に一人は50歳になっても一度も結婚経験がない。    かつてはお見合いがありましたが。    「婚活食堂」を書いたときはそうは思わなかったが、いま何もしないと結婚できない時代に突入してしてしまったとしみじみ思っていて、意識的に働きかけをしないと、なかなか難しいなと思います。

文芸春秋で「幽霊食堂」を書かせて頂くことになり、秋には文庫で発売になるのではないかと思います。  食堂とは違う話も書きたいと思っています。