川島勝司(アトランタオリンピック野球日本代表監督)・【スポーツ明日への伝言】オリンピックで戦う喜びと重圧
今月14日社会人選手権がおこなわれていた京セラドーム大阪で、今年度野球殿入りが決まった1996年のアトランタオリンピックで銀メダルを獲得した野球日本代表監督の川島勝司さんの表彰式が行われました。
野球殿入りの話を聞いた時にはびっくりしました。
栃木県佐野市出身、今年78歳。 群馬県立桐生高校から中央大学に進む。 卒業後日本楽器(ヤマハ)に入社、監督選手として活躍、監督として史上最多タイの3回の都市対抗野球の優勝を成し遂げる。 1996年日本代表監督として臨んだアトランタオリンピックで銀メダルを獲得、その後もトヨタ自動車の監督、総監督として手腕を振るい、日本野球連盟、全日本アマチュア野球連盟の役員としてもアマチュア野球競技力の向上と指導者の育成にあたってきました。
小学校4年ぐらいからキャッチボールなど11歳年上の兄の相手をさせられました。 小学5年の時にクラス対抗の野球があり、ピッチャーをやって優勝しました。 学校が終わるとすぐ好きな連中とやって野球にのめりこんでいきました。 決勝の前の練習の時に校長先生と教頭先生が後ろで「この子は小さいが球が速いね」という事を話しているのを聴いて、それが後々までなにかの折のに蘇って、それが野球に対する動機づけみたいになりました。
甲子園でプレイをすることが夢で高校で授業を受けている以外はすべて野球という事でした。 群馬と栃木で一校の出場枠だったので当時は栃木のほうがちょっと力が上でした。 昭和36年北関東大会準決勝で八木沢荘六、島野育夫のいた作新学園に敗れる。 その翌年に八木沢荘六をエースとする作新学院が史上初の春夏連覇をするわけです。 中央大学に進んで東都大学野球リーグでは在学中2回優勝する。 ベストナイン(三塁手)2回受賞。 1966年に日本楽器(現・ヤマハ)に入社、社会人ベストナイン(三塁手)に選出される。 昭和43年のドラフト会議では近鉄バッファローズから2位指名されるが入らなかった。 チームのキャプテンを任命されて、来年に向けて頑張ろうとしていた時にドラフトでしたのでタイミングがずれたのかと思います。 (プロに行こうかとの迷いもありました。)
1972年には都市対抗に2年連続4回目の出場を果たす。 1972年、1987年、1990年監督として3回の優勝を果たす。
オリンピックでは各チームのNO1の選手たちの集まりなので、いかに一つのチームに昇華させるかという事が第一の目標だなと、取り組みましたが難しかったです。 キューバを倒さないかぎりは金メダルは取れないということで、いかににキューバを倒すかという事から話を始めました。 キューバに勝つためにはキューバを上回る得点をあげないといけない、ということで強打線のチームを作らなければいけないという事でした。 いい選手はプロに行ってしまうという事もあり難しいところは有りました。 強化選手のなかでアトランタに10人残ってくれればいいなあと思いましたが、6人は残ってくれて彼らが中心になってくれました。 アメリカとの練習試合でエースの杉浦選手が右足内転筋を、抑えの切り札の森選手が故障してしまいました。
決勝トーナメントには4チームが行けるが、1位は多分キューバだろうと、4位になると決勝トーナメントで最初に当たてしまうので避けたかった。 5勝2敗というような線で臨んだが、1勝2敗でアメリカとの対戦となり、先発投手を誰にするか意見が分かれ、私は負けを覚悟しようと腹を決めました。 杉浦をぶつけた時にすべてが終わってしまうかなと思いました。 杉浦を温存して1勝3敗を覚悟しました。 アメリカに5-15で大敗する。 次の試合に杉浦を投入、勝ってそれからは連勝する。 決勝トーナメントでは準決勝で杉浦を投入、アメリカと当たって勝つ。 日本は1勝3敗の時点で後がなくなりチームがまとまり、アメリカは逆に星条旗の重みで力を発揮できなかったのでは。 キューバには残念ながら負けました。 キューバ戦では投手起用には又意見が色々ありました。 奇襲戦法をとることは1年前からスタッフ間では整理できてはいました、アンダースローの木村竜太郎投手をぶつけようとしていました。 以前の試合でアンダースローを試してはいたがキューバには攻略されていた。 奇襲戦法にはならないと思って、5人のピッチャーで戦わざるを得ないだろうと思いました。 杉浦投手は前日のアメリカ戦にも投げていて疲労がたまっていたが、杉浦投手の先発で行こうと決めました。 序盤で6-0と大差をつけられるが、あきらめるという気持ちは微塵もなく、中盤で同点の満塁ホームランが出る。 この瞬間の気持ちは一生忘れられないです。
開催国なので是非金メダルを取ってもらいたいと期待をしていますが、見ている人たちに感激、感動を受けてもらえるような戦い方、勝つ事も大事ですが、取り組む姿勢、戦い方に心を打つようなプレイを稲葉ジャパンにはしてもらいたいです。 結果は後からついてきますから。