中村祥子(バレエダンサー) ・新しいステージに向かって
Kバレエに5年間所属していましたが、海外へゲストで出ることを10何年やってきましたが、ゲストで出る事と所属して出ることは違うと感じましたし、日本のお客さんの前で踊りたいという思いがあったので、この5年間はたくさんの作品を躍らせてもらい、お見せ来たのはうれしいと思っています。 芸術監督の熊川哲也さんは最初一緒に踊らさせてもらった時はスタジオでのリハーサルの感じと舞台では何百倍のエネルギーを放出されていて、こちらも力をふり絞らないといけないような、オーラを出すダンサーの人でした。 しっくりくる言葉でアドバイスしてくれて、私にとって大きな経験になり、レベルアップできたところかなあと思います。 とにかくテンポが早いです。 音を大事にされていて、音の意味が身に付いて来たのかなあと思います。
私は新しい自分を求めて移動してしまうという事があって、自分の可能性を見てみたいという思いもあり、Kバレエから離れてみて新たな自分を捜して、Kバレエの舞台に戻ってこれる時に何か今までにない自分というもので、ディレクターの作品に臨めたらありがたいなあという気持ちをお伝えして、退団という形になりました。 退団して9か月になりますが、フリーダンサーの大変さは実感しました。 でも今までにかかわらなかった人たちとの出会いとか、その人たちからのアドバイス、出会ったことのない作品とか、パートナーだったりとか、いい経験となりました。
コロナ禍で踊る場が失われるという事は、すごく大変なことだし、日々踊っていないと筋肉、体形の維持が難しい。 改めて舞台というものの必要性を痛感しました。 SNSの中で知らなかったダンサー同士が励まし合えたことは良かったなあと思います。 家で自分で出来る身体のケアを地道に出来たことは良かったなあと思います。 筋肉トレーニングとか弱かったところをどう風にすれば強化できるかという事を調べながらやってみて、そういったことは普段はできませんでした。 初心に帰って自分を見直す時間は取れたのかなと思います。
バレエを始めたのは6歳の時でした。 猫背気味だったのでバレエをすることで姿勢がよくなるのではという事で親がバレエ教室を捜して、始めました。 留学することになり、体形から違うんだというショックと、バレエをやるために必要なことを小さいころからやってきているダンサーたちの中に途中から入って行ったので、違いを目の当たりにしてすごいショックでした。 ローザンヌ国際バレエコンクールでスカラシップ賞を受賞していったのに、これからの自分のバレエ人生はどうなるのかという感じでした。 言葉ですが、ドイツでしたが、ほかの国の方々も来ていて、母国語でしゃべっていたりしてそれでなんとか通じていたようなところがありました。
1998年、シュトゥットガルト・バレエ団に研究生としてしてはいたんですが、監督さんのレッスンで靱帯断裂の大怪我をしてしまって、手術後も自分の脚ではないような感覚がありました。 日本へ帰国、同バレエ団の退団とリハビリ生活を余儀なくされる。 母親から「諦めたら先はないよ」と言い続けてくれて、そこで何とか自分を取り戻して、又バレエ団に戻りましたが、次の契約は有りませんと言われました。 いろいろな国に行っていろいろな経験をして、シュトゥットガルトの「オネーギン」という作品と「ロミオとジュリエット」の作品を踊らせていただいて、怪我をして以来シュトゥットガルトで踊ったんですが、自分の立場が変わっていて、同じ場所なのに全然見え方が違っていました。 ここに戻ってこれたんだと自分に涙しました。 監督にも褒めていただいて長かったなあという思いがありました。
或る時ふっと回りの女性が結婚して子供を産んでダンサーとしてやっているのを見て、そこから意識が変わったと思います。 いい出会いがあり結婚、出産をしてとすんなりと進みました。 妊娠して5か月まで舞台に出ましたが、その後出産してやっと踊れるという気持ちがしました。 すぐストレッチを開始して、母親として頑張らなければいけないという事と踊りたいという思いもあり、葛藤と頑張り過ぎもあって、涙した時期もありました。 母、夫など周りに助けてもらいながらレッスンに入りました。 今まで積み上げてきたものがすべて失われたという思いがあり、又涙してしまいました。 自分の身体を取り戻したなあと実感したのは1年後でした。 股関節を痛めてしまったのでそれは今でもあります。 息子はバレエはやらないといっています。
フリーとなっていろんな人との出会いとか、いろんな作品に挑戦できるのかなあと思っていて、クラシックがベースにありながら、いろんなジャンルを経験してみたいと思うし、あらゆるものに自分をつなげてみたいと思っています。 いろんな方とのコラボレーションもしていて、楽しいです。 ジュエリーのデザインもやってみて、ダイヤモンドの質も素晴らしくて、身に着けていただいたときに思い、勇気だったりいろいろなものを感じる作品になっているんじゃないかと思います。
今後もダンサーとして幅広くいろんなものにチャレンジしていきたいと思っていて、表現するという事が大好きで、表現の幅もいろんな人との出会い、違ったジャンルをやることで表現の幅が、知らなかった幅というものを見出していけるのかなあと思います。 自分を大きく広げて行けたらいいなあと思っています。