中嶋悟(元レーシングドライバー) ・【私の人生手帖(てちょう)】
今からちょうど30年前、1991年一人のレーシングドライバーがモータースポーツの最高峰といわれるフォーミュラ1 F1の最終戦をもって引退しました。 中嶋悟さんです。 中嶋さんは1953年愛知県岡崎市に生まれ、1987年 34歳で日本人初のF1フルエントリードライバーとして参戦し、そのたくみなハンドルさばきが定評ありました。 日本でも愛されましたアイルトン・セナ、ジャン・アレジともチームメートになっています。 ドライバー人生は多くの人に支えられたという中嶋さん、とりわけ心に残っているのは本田技研工業の創業者本田宗一郎さんの言葉です。 くしくも本田さんもちょうど30年前亡くなっています。 現在は後進の指導に当たっている中嶋さんに引退前後の心境やF1にかけた熱い思いと共に、走る実験室と言われるF1の実像、魅力なども合わせて伺いました。
車で行けそうな距離はほとんど車で移動しています。 自分のスクールの生徒が参戦するようになって時間がある限り見ています。 辞めてもレース屋です。
フォーミュラ ワールドチャンピオンシップと言いますが、世界中で一番速い自動車で自信のあるドライバーが世界中から集まって世界中を舞台に戦うというものです。 僕の時代は16か国ぐらいでしたが、今は20か国ぐらいやっています。 毎年やっています。 コースによって最高スピードは変わりますが、直線の長いサーキットであれば320、330kmとか場所によってはもう少し行く場所もあります。 自分の会社で作ったものでしか駄目で、10チームであれば10種類の車両、ほかの会社で作った部品などは使えない。 チームによっては500,600人で構成されます。
30年前に引退しました。 レーシングドライバーはかなり肉体的なものが必要になります。 車両の進歩と自分の年齢とで段々自分の思うような操作がしづらくなって、引退を考えるようになります。 4Gとか5Gとかになります。 それが前後左右にかかってそのなかで車を操作するわけです。 我々の時代はすべてが手動で厳しい状況に2時間近くさらされるわけです。 自分でしたくてもその操作ができないことが増えてきて、ぼちぼち潮時かなあと思いました。 1991年にはと心の中では決めていました。
僕は挑戦というよりは冒険しているような感じでした。 見たことがない世界に入っていくので自分の立ち位置がわからない。 人よりうまくハンドルを切れるというのが好きで自分の得意なことなんですね。 雨の時には力が要らないから自分の腕が出せました。
ゴーカートのレースを高校時代にやって、レースで勝って、そういったことが積み重なって、18歳で普通免許がとれて、普通自動車のレースのほうにステップアップしていきました。 しかしそれなりの活動資金が必要でかなりの借金をしてしまいました。 1976年ごろが潮時かなあと思って居た時に救いの手が来て、1977年にフォーミュラ1300で7戦7勝してしまったりしました。 何らかの報酬を得られるようになりました。 翌年イギリスに行けるようになりました。 そこで見たのがF1ですごいと思いました。 当時は自動車事故も多かったし、国内でのレース、レーサーに対してはあまりいい目では見られてていませんでしたが、イギリのサーキットの雰囲気、皇族のいる場所があったり、ロールスロイスが一杯並んでいたり、若い人からおじいさんまでいたり、ずーっと生中継して居たりしていて、ここに来ないと本物にはなれないと思いました。
それが転機になりましたが、近そうで遠いんです。 すべてでレベルが違っていました。 ドライバーに必要なものは筋力は有った方がいいが、持久力が必要です。 身体のすべて部分の持久力がないとやれない。 トラックにレーシングカーを乗せて自分で運転してやっていました。 恐怖心はないのかとよく質問されますが、怖かったらやっていないと思います。 レース中に終わったらこんなものが食べたいなあと思ったことなどもありました。 自分には運転することが一番楽しくて、刺激があった。 自動車レースにほれ込んでいけるところまで行ったという感じです。
今は情報が多すぎるので、我々の時代のように無我夢中になるというのが少ないのではないかという気がします。 すぐに結末が判ってしまうような世の中になってしまったような。 後輩が出てきてくれて、このチャンスを上手く拾ってうまく戦っていいことをやってくれたら、自分もレーシングスクールをやっていてよかったなあと思えるかもしれないですね。 戦っているころは溌剌とした気分でやれたので、ああいうのを味わってほしいなあと思います。 本田宗一郎さんに言われたのは、「自分は自分をしっかりせいよと、自分の思いをしっかり持って、人のせいにしたり人に押し付けたりしないで、自分の中で納得したことをやっていけ」というようなことを言われました。
ホンダは今年限りで撤退しますが、まあまあ強くなったところで辞めるという事になってしまうが、脱炭素、自動車に対する要求がどんどん変わってゆくので、それに対する技術を傾けなければいけないという事があると思うし、F1、自動車レースでやったことが、技術者が次の車両に力を発揮する時が来たのかなあと思います。