2021年7月18日日曜日

田中健一郎(老舗ホテル特別料理顧問)  ・【美味しい仕事人】五輪食堂でおもてなし

 田中健一郎(老舗ホテル特別料理顧問)  ・【美味しい仕事人】五輪食堂でおもてなし

東京オリンピックパラリンピックの選手村で提供される食事は選手の体調管理に重要な役割を果たします。  さまざまな競技に出場するそれぞれの選手の異なるニーズにもこたえなければなりません。  今日はそのメニューを決めたアドバイザリー委員会の座長を務めた人、田中健一郎さん(70歳)にお話を伺います。  田中さんは東京の老舗ホテルで総料理長を務め、現在も特別料理顧問として後進の指導に当たっています。  1964年の東京オリンピックでは同じホテルの先輩村上信夫さんが選手村食堂の料理長を務めました。   今回のメニューがどのように決まったのか、また 前回のオリンピックにまつわるエピソードそして田中さんの料理にかけた半生についてお話を聞きました。

今回聖火ランナーに選ばれています。  3年前からメニューを決めるアドバイザリーとしてやってきました。  アドバイザリー委員会を立ち上げる前にいろんな各ジャンル、各分野の日本料理、栄養学の先生、理学博士、現役アスリートの方、などが集まりまして、選手村の食堂をどうするのかと、話がまずありました。  前回に比べて規模が5倍ぐらいになります。  前回は各ホテルの料理長が腕を振るったわけですが、今回は〇〇業者(聞き取れず)にお任せするという事になり、我々からメニューのアドバイスをする必要があるのではないかという事で、立ち上がった委員会です。   一日最大で4万8000食という事になり競技の関係もあり24時間稼働しています。   一番の目的は選手が最高のコンデションで最高の記録を出してもらうための食事でなければいけないという事です。   それと食の安全安心、宗教からの制限、ベジタリアンだとかの食習慣の問題、日本の食の文化の発信もあります。   東日本大震災の復興したんだという部分を知らしめるという目的もあります。   過去オリンピックパラリンピックに参加た方のご意見は非常に参考になりました。

車椅子では視線が大事だという事、スロープを含めて動線の確保など細かい指摘を頂きました。   メインダイニングでは席数が3000~3500名分が一気に収容できます。 カジュアルダイニングのほうは日本の食文化の発信という事を重点的に考えて提供する予定です。  懐石料理とかではなく日本人が古くから親しんできたものを中心にしています。カレー、ラーメン、焼き鳥とか。   80種類の試食会がありました。  

選手がリラックスする環境つくりも大きな問題点としてあります。  ハラル(イスラム法で許された項目)はハラル専用のキッチンで作っています。  アジア、日本、いろいろなグリルのコーナーなどがあります。  バイキング形式ではなくスタッフが提供するシステムになっています。

明治23年当時は東京には宿泊施設がなくて、井上 馨さん渋沢栄一さんなどが発案して出来たホテルです。  1964年の東京オリンピックの時には大先輩の村上信夫さんが選手村食堂の料理長を務めました。  4つ食堂がありました。  資料を集めるのが大変で大使館に出向いて大使の奥様から直接教えてもらったり、商社マンから教えてもらったり相当苦労したそうです。 食材の確保も大変だったようです。  料理人も全国から集めるのも大変だったようです。  食材も冷凍品を使わなければいけないという事で、当時は冷凍品はまずいという事で、4年前から冷凍会社と共同でそれまでマイナス15℃しか下がらなかった冷凍庫をマイナス40℃まで下がる冷凍庫を開発しました。  それで大量に供給できるようになりました。  冷凍品と新鮮な食材との比較の試食会を300人対象に行ったところむしろ冷凍のほうがおいしいのではという評価も頂いたそうです。   大きなホテルの大きな宴会場に対応できるようなシステムが出来上がったのも、64年のオリンピックの発案があったからできるようになりました。

面白い話を一杯村上さんからはうかがっていて、アベベ選手は裸足で走っているのでよっぽど堅いものと思って足の裏を触らせてもらったら、綿のように柔らかかったというような話も聞きました。  

老舗ホテルに入ったのが1969年です。  誰よりも早くホテルに行こうと思って始発電車に乗って6時ごろについて、仕事で使う道具をすべて出して仕事が始まる1時間半前にはスタンバイしていました。  退勤は午後10時、11時ごろです。   この子は明るいとか前向きだなとか、そういうことをわかって貰わないと、なかなか引き立ててくれないです。  先輩から可愛がられるという事もどの世界でも一緒だと思います。

小学校高学年の頃、NHKの「今日の料理」を見てコックさん(村上信夫さんだった)に圧倒されて、フランス料理に進もうと決意しました。  村上さんはハンバーグを家庭に普及した人でもあります。  村上さんはフランス料理のすそ野を広げた第一人者だと思っています。  ホテルの料理人だけで400名います。  フランス料理人とパテシエ、ベーカリー関係です。  村上さんと私は歳が30違いますが、偶然ですが新料理長と私も30違います。

リタイアしたら、子供食堂のおじさんになりたいんです。  環境の厳しい子供においしいものを食べさせるだけ、料理を作って行ければなあと思っています。