2021年7月19日月曜日

清元國惠太夫(清元 浄瑠璃方)     ・【にっぽんの音】     

 清元國惠太夫(清元 浄瑠璃方)     ・【にっぽんの音】 

東京都出身、40歳、日本舞踊家の父の影響で3歳から日本舞踊を始める。   清本節に入門したのは15歳の時で、清元菊輔さんに師事、20歳の時に國惠太夫という名を許されて以来、清本の太夫として歌舞伎や日本舞踊の公演などで活躍しています。   舞台以外でも清本節の演奏や解説をライブイベントやインターネットで発信するなど、日々その魅力を伝えています。

清本は日本舞踊の演奏をするので、日本舞踊をやるには日本舞踊の曲を知っておかなければならないので、清本節の清元菊輔師匠のところに15歳の時に入門したんですが、清本が面白くなってしまって、この道入っていきました。  清本は三味線を弾く専用の人と、浄瑠璃を語る専用の人が居まして、清元菊輔先生は三味線のプロの方で、三味線弾きになるために習ったんですが、そこで浄瑠璃も学んで、結局日本舞踊から清本に行って、清本の三味線から歌太夫になったという事になります。  

清本は歌舞伎とかで演奏される浄瑠璃のジャンルの一つです。  1814年初代清元延寿太夫という人が江戸で確立したジャンルです。  浄瑠璃は実は仏教用語で薬師如来が住むとされている世界を浄瑠璃と言いまして、正確には東方浄瑠璃浄土といいまして、薬師如来の物語に登場する浄瑠璃姫という方が登場しますが、物語を琵琶の調べに合わせて語った、これが最初の浄瑠璃の始まりと言われています。  段々浄瑠璃を語る行為自体を浄瑠璃と言われるようになりました。   清本は歌舞伎浄瑠璃の一番新しいジャンルに入ります。  初代都太夫一中が京都で一中節というのが出来て、それが江戸に来て歌舞伎と融合して、豊後節というのに派生して、豊後節が派生して常磐津節になって、富本節という節で、富本節が派生して清本節が成立するわけです。 1814年、今から200年前になります。

大蔵基誠:能の世界では、シテ方、ワキ方、狂言方、囃子方の4つのグループで構成されていますが、囃子方には大鼓、小鼓、笛、太鼓、と分かれて行きますが、歌舞伎の構成はどうなっているんでしょうか。

まず、役者さんがいて、我々浄瑠璃は演奏を担当しますが、三味線と歌、あと囃子方の三つがあります。  浄瑠璃の中に清本という流派があります。  

申酉』(さるとり(お祭りとも言います。) 江戸の日枝神のお祭り 「引けや引け引けひく物に取りては」と引き物づくしの踊り、 歌詞に「引く」が入っている。 子日(ねのひ)の小松 小松を引くお祝い事があった。 初回の盃馴染の煙草は遊郭の習わしで遊女を部屋に引かせる、袖,たもとを引く、履物をしまう事を昔は履物を引くといった、実は歌詞に「引く」が入っている。

清元志一朗さんが三味線方

手軽に清本節に触れていただきたいと「清元pocket's」を立ち上げ動画配信しています。 長い曲を5分ぐらいにまとめて気軽に聞いていただきたいと思っています。 期待半分、不安半分という感じでした。

大蔵基誠:僕も動画配信したんですが、やはり生で見てもらいたいという事で抵抗がありましたが、やってみるとやってよかったと思います、生の舞台を見に行きたいという声を頂いたりしました。 

*「玉屋」  当時本当にいた大道芸人で、シャボン玉を吹いて子供たちに見せた。 それが題材になっている。 1832年 江戸 中村座で初演。

「さあさ よったりみたりふいたり評判の玉屋」と冒頭にあるが、数字が隠れている。 (4,3,2,1) ( 呼び込みを兼ねた言葉)

日本の音とは「そばをすする音」です。 日本人に愛されている音ではないかと思います。いろんな方に清本を知っていただいて、楽しんでいただいて生の舞台を気軽に見にきていただきたい。