2021年7月6日火曜日

元ちとせ(シンガー)           ・デビュー20周年に向けてのコトノハ

 元ちとせ(シンガー)           ・デビュー20周年に向けてのコトノハ

楽しくて歌ってきた20年で、ライブでインディーズ版の曲をやってみたりしてきましたが、そのきっかけに、自分を振り返られることが、今すごく楽しいなと思っています。    インディーズの時代は島唄以外の音楽にすごく触れた時間でしたし、レコーディングも初めての作業だったりとか、なんでも初めてでした。

*ワダツミの木   作詞・作曲・編曲:上田現   歌:元ちとせ

発売から約2ヵ月後の4月22日付で同チャート1位を獲得。  生まれ故郷の奄美大島があまりにも知られていなかったことにショックを受けました。   若い子が島唄をうたっているというのが珍しがられました。   最初三味線を習おうと思ったが、楽譜のない音楽なので、島唄を覚えていかないと聞こえてゆく歌が増えて行かないんです。  母が機織りで大島紬を織っているときに、竹下和平さん、大島ひろみさんのレコードをずーっとかけていました。  その音楽がずーっと私の中にあり、かっこいいと思って居ました。    三味線は小学校5年生の時に町の三味線教室に習いに行き始めました。   声が変わっているので別の日に歌を習いに来ないかと言われました。   母から大会に出なさいと言われ、集中的に練習をして、中学1年生で初大会に出ました。   中学2年の県大会の控室での練習でどうにか裏声が出るようになり、大会で優勝することが出来ました。   

高校生の時に奄美民謡大賞青年の部新人賞を受賞。  母が褒めてくれたのはこの時だけでした。  母は厳しかったです。  姉が美容師をやっていたので手伝っているうちに美容師をやりたいと思うようになって関西に出ました。  優勝したことでスカウトがきましたが、 一社だけがわざわざ8時間ぐらいかけて東京からスカウトに来てくれて、名刺を置いていきました。  美容室で仕事をしているうちに体調を崩してしまって、帰ろうと思って荷作りをしていた時に頂いた名刺が落ちてきました。   会った時から2年たっていましたが、電話をしたらその人が出て、音楽をやりたいと言ったらすぐ東京にくるようにと言われました。  それが縁ですね。

上京してアルバイトをしながら、スタジオに行っていろんな歌を歌わせてもらっていましたが、最初こぶしを控えるような歌い方をしていましたが、或る曲を歌っているうちにこぶしを入れなければならないようなテンポだったので、こぶしを入れて歌ったら何となくすっきりしてこれが自分の歌い方なんだなあと思いました。  スタッフもこの方が面白いという事で、カバーアルバムの元ちとせの青版と言われるインディーズ版を作って、それと並行してオリジナルの「コトノハ」というインディーズ版も作って、その時初めて上田現さん(「ワダツミの木」を作詞、作曲した人)にあって、歌の新しい世界を広げてもらいました。

「コトノハ」   作詞:元ちとせ&HUSSY_R、作曲:間宮工  歌:元ちとせ

三味線を弾いて太鼓をたたいてお囃子があって歌があるというスタイルでずーとやってきてきましたが、新しい音楽に触れてみたり、新しい音楽を感じている人との出会いで、島唄の可能性を広げてもらっているので、いろんな形で島唄の入り口が増えてゆくのはいいなあと思います。  これからも届けて行きたいと思っています。  音楽で平和であることのありがたさを教えてもらって来たので、小さな幸せがどんなに大切かというものを歌で沢山の人に届けて行けたらいいなあと思っていますし、20周年という事にあまり力を入れずに、自分のスタイルを見失わないように、出会いに感謝して歌い続けていきたいと思っています。