皆川典久(東京スリバチ学会会長) ・谷の都・東京再発見のススメ
坂の多い東京、全国的にも世界的にも珍しい谷やくぼ地の多い都市で、そんなすり鉢状の地形に魅せられてた皆川典久さんは58歳、東京スリバチ学会なるものを立ち上げて、本業の建設設計の仕事の傍ら休日には、都内の谷やくぼ地を回るフィールドワークを積み重ねてきました。 すり鉢地形を訪ね歩くと江戸時代から現在に至るまでの、その土地の歴史や文化の変遷を伺い知る事ができると参加者も次第に増えて、スリバチ散歩なるものが脚光を浴びるようになりました。 地形ブームの火付け役となった皆川さんは今や全国のスリバチ愛好家の会に招かれたり、NHKのテレビ番組「ブラタモリ」に出演するなど大忙しです。 すり鉢地形から何が見えるのか、スタジオでの架空散歩を交えながら、東京スリバチ学会会長の皆川典久さんに伺いました。
東北大学の建築科を卒業、今は大手建設会社の設計部門で仕事をしています。 群馬県生まれで小さいころ代々木の体育館を見て感動して、建築家を目指しまして、一級建築士として設計の仕事についています。 東京を歩いてみたら坂が多い、坂が向い合っているような場面もありました。 渋谷、四谷、市谷、千駄ヶ谷、谷中、茗荷谷とか東京には谷の付く字が多くて面白いなと思って、東京は谷の都、すり鉢状が多くて、スリバチ学会を2003年に立ち上げました。 学術的なことはなくてとにかくわいわい東京を歩いてみようよという事でスタートしました。 タモリさんは坂道学会でそれに対抗するスリバチ学会があるうという事で番組に呼んでいただいたのが始まりです。
東京は三方向を崖とか丘で囲まれたすり鉢状の場所が多いんです。 水が削った地形には間違いないんですが、もともと湧水があって湧き出る水があって、そういった土地に火山灰が積もった、武蔵野台地は火山灰が10~20mぐらい積もっています、富士山とか箱根の山から積もった関東ローム層があります。 湧水があちこちにあり、火山灰がそこに積もったが、火山灰が流されて、すり鉢状のくぼ地は火山灰が積もらなかった場所として作られたのではないか、と推測しています。 今でも湧水がある場所があります。 四方向囲まれた”一級すり鉢”もあります。 神田川の水源は吉祥寺の井の頭池です。 ここもすり鉢状になっています。 三宝寺池、善福寺池とかあるが、いずれも湧水が作った池です。 それが善福寺川に成ったり、妙正寺川に成ったりします。 NHKのそばの宇田川の源流は代々木上原駅から北へ15分ぐらいのところに小さな湧水池が残っています。 石神井川、目黒川、立会川などもそうです。
江戸の町割りは土地の高低差を上手く活用しながらつくられている。 高台は武家、大名屋敷、谷間は庶民の住む町、それが引き継がれて高台は病院、学校、軍など大きな敷地を活かして大きな建物が多い。 谷はそのまま継承して現在の町になっています。
架空散歩、赤坂の薬研坂(薬研のようなすり鉢状) スリバチ学会発祥の地です。 谷底が赤坂の繁華街で大きなため池がありました。 庶民の飲み水を確保するためのため池だった。 今の虎ノ門の交差点の付近にダムを作って飲み水の確保と同時に、江戸城の外堀の一部だった。 (外堀通りと名前が引き継がれている。) 千鳥ヶ淵も江戸時代に作られたダムです。 小石川用水、神田上水(井の頭池が源水)、も飲み水用とした。 足りなくなった多摩川から引っ張ってきて多摩川上水を作った。 飲み水の確保に苦労して作りあげた。
四谷三丁目の荒木町は四方向囲まれたすり鉢状になっている。 池が残っているが、もともとは大名庭園の池、松平摂津守の屋敷だった。 明治になると風光明媚に憧れて料理屋、芝居小屋、花街として栄える。 現在は個人が立ち上げた飲み屋さんが沢山あります。
大きなくぼ地があるところ、大久保、もともとは大窪村?(大久保村?)と呼ばれていた。 江戸時代には尾張徳川家の下屋敷(別荘)で、池、東海道の宿場町を模した町屋が並んでいたり、箱根の山を模して築山を作って風景に見立てて、築山は今でも残っています。(箱根山)
渋谷は坂の町ですり鉢状の町です。 迷ったら坂を下ると渋谷駅になります。 二つの川が合流した場所、渋谷川と宇田川です。 ほかに小さな川が一杯あった。 坂を上った町の名前が鉢山町、桜丘町、丸山町、神山町、代官山町、みんな山です。 川の作った谷間が分断して山のような地形を作っている。 谷には神泉、鶯谷、富ヶ谷などがあります。 道玄坂と宮益坂があるが、宮益坂は「富士見坂」と呼ばれていたが、御嶽神社があり、御岳権現にあやかって「宮益町」と変更されたことから、この坂も「宮益坂」と呼ばれるようになった。 道玄坂は道玄という盗賊の名前で、盗賊が出る坂、渋谷川の西は辺境の地で、盗賊が出るようところだった。
スリバチ学会は基本自由参加で、申し込み不要、参加費無料、でもフォローはしませんという事です。 5年前には100人ぐらい集まってしまって、自由参加ということにはできなくなってしまいました。
自分たちが望む都市のあるべき姿を地形、水をテーマに考えてみようという事で、東北大学でやらせてもらって、法政大学からも声がかかって非常勤講師として、東京発掘プロジェクトというテーマで、東京の川は蓋をされて見えなくなっている、東京にはたくさんの運河、水路があったが、見えなくなっているので、発掘してもっとわくわくなるような東京を描いてみよういう講座を学生たちと楽しみながらやっています。 そういった取り組みに対して2014年にグッドデザイン賞を受賞しました。
最近は防災的見地で地形の高低差などで注目することが多くなりました。 水には恵みと災いがあるが、両方を知ったうえでうまく付き合うことが 文化文明なのではないかなと思います。
日本各地でも、東京近辺でもスリバチ学会が立ち上がってきています。 海外でもパリ、ローマなどにもあります。
「書を捨て谷へ出よう」(寺山修二 「書を捨てよ町に出よう」をもじったものか)ということで家に籠もっていては出会えないことが、街にはころがっているし、いろいいろな発見があるのではないかと思います。