原田マハ(作家) ・ゴッホへのお土産
1962年東京都生まれ、大学卒業後森ビルの森ビル美術館設立準備室、ニューヨーク近代美術館に勤務後、2002年フリーのキュレーターとして独立。 2003年にカルチャーライターとして執筆活動を開始し、2005年には共著で『ソウルジョブ』上梓。 そして同年、『カフーを待ちわびて』で第1回日本ラブストーリー大賞を受賞、2006年に作家デビューしました。 2012年に『楽園のカンヴァス』で第25回山本周五郎賞受賞、2017年『リーチ先生』で第36回新田次郎文学賞受賞、ほかの著作に『本日は、お日柄もよく』、『キネマの神様』、『たゆたえども沈まず』などアートを題材にした小説を多数発表しています。 画家の足跡をたどった『ゴッホのあしあと』やアートと美食に巡り合う旅をつづった『フーテンのマハ』など新書やエッセーなども執筆されています。
『リボルバー』という長編小説は舞台になる戯曲を書いてみないかという話を頂いたのがきっかけです。 ゴッホとゴーギャンをめぐることですが、戯曲は書いたことがなくて、原作になる小説を書いてみて、それをベースにして戯曲を立ち上げるというのだったら出来そうなので、そういう形でやらせてくださいという事で引き受けました。 1年間連載を書いて戯曲を書きました。 ゴッホは小説としては2作目です。
『たゆたえども沈まず』はゴッホが出てきますが、ゴッホの入門書というような形として、書きました。 それを入れると3冊目になります。
ゴッホは特殊な人だなあと知れば知るほど思いますが、私もアートにずーっと親しんでいた人生でしたが、何かアートにかかわる仕事をしたいと思っていました。 ピカソ、マティス、ルソーはありだなと思ったが、ゴッホはないよなと割と早くから思っていました。 日本で何故か人気があるし、放っておけない画家、だけどはまると怖い抜けられなくなると、最初から思っていました。 気になるけど遠ざけていました。
『たゆたえども沈まず』を書き始めた時に、林忠正という実在の画商で19世紀末のパリで浮世絵、日本画を広めた人で、林忠正を主人公にして書こうと思ったのがきっかけでした。取材するなかで、浮世絵を愛する画商と浮世絵を愛する画家、で接点があるのではないかと展開してゆきました。 二人の接点があるようにここではフィクションで書きましたが、入り口は林忠正でしたが、出口はゴッホでした。 気がついたらゴッホの足跡をたどっていて、小説の中でもう一回再生してみようと思いました。
『リボルバー』 ゴッホとゴーギャンの関係はさらっと過ごせるような関係ではなくて、アルルでの共同生活の最後のほうで自分の耳を切ってしまうという自傷行為に臨んだという美術史上でも有名な話です。 ゴッホが非常にもろくて感受性が高くて傷つきやすいタイプに対して、ゴーギャンはあっけらかんとしていて、計算高くて、友達のことも振り向かないようなタイプだと一般的に思われがちなところがあります。 実はゴーギャンは優れた感受性をもって感度の高い人で、ゴッホとはベクトルは違うが、モダンアートの先陣を切ってさきがけを作った大人物です。 本当に何があったのかという事は二人にしかわからない。 小説家の特権として思い切ったフィクションを書かせてもらうという事で、この二人を盛り込んだ最大の理由ですね。
19世紀パートと21世紀パートに分かれていて、後半でゴーギャンが独白するような場面があり、彼が抱えていた孤独、野望、彼の人間性だとか、人生に思ったほど注目されていないという事を彼を調べ始めてから思ったことです。 ゴッホとすごく似ているんですね。自分が見たくない側をお互いに突き付け合っていたというところかもしれないですね。 合わせ鏡のように自分が写っていたのかもしれないですね。 アートを中心に据えて共同で制作をしようと言い出したのはゴッホですが、お互いが孤独の中で制作してきた時間が長かっただけに、相容れないところがあったかもしれない。
食うや食わずだった人たちが、後世では大スターになって、彼らに見せてあげたいという事はみんな普通に思いますね。 しかし彼らは自分たちがやりたい様にやってきたので、モダンアートの素地をこの二人は作ったと思います。 彼らが幸せだったのか不幸だったのかという事は私たちの概念で決める事ではなくて、彼らが残してくれたものだけが真実だと思います。
原作のプロットと、戯曲のプロットはほぼ同時に作っていて、戯曲に作っていくという事は大変楽しい作業でした。 戯曲の場合はト書きが非常に少なくて、会話に集中すればいいのだという事がすごくおもしろかったです。 ゴッホとゴーギャンの会話に一緒に立ち会っているような感じでした。 東京公演は7月10日から8月1日まで行います。 大阪公演は8月6日から15日まで行います。 安田章大さん(ゴッホ役)、池内博之さん(ゴーギャン役)、大鶴佐助 さん(テオ役 ゴッホの弟)がイメージを重ねるようになってくれればいいなあと思います。
私は小さいころからアートと本が好きな子でした。 父が美術全集を出す出版社のセールスマンでした。 サンプルのストックが家にいっぱいあり、3歳ぐらいの時に画集を開いて見ていました。 モナリザなどの模写をやったりしていました。 父は非常に破天荒な人で宵越しの金は持たないといった人でした。 父なりの教育方針があって私が欲しいというものがあれば3つは買ってくれたりました。 一つ目は本でどのような本でも欲しいものは買ってくれました。 二つ目は展覧会に行く事、三つめが映画です。 子供ではないものも見せます。 「男はつらいよ」、を7歳の時に見ました。 山田洋二監督,小津監督、黒沢監督などの作品は父に連れられてよく見に行っていました。
ピカソ、ルソーなどの絵を見ると、将来クリエーターになって、この人たちを創作の中に取り込んでみたいとずーっと思っていました。 『楽園のカンヴァス』が出版された時には、構想25年と帯に書いてもらいましたが、まさにそういう意味です。
度胸と直感がセットになって動いて来ました。 まず直感が動いて、立ち止まったりすることがありますが、その時にはゆく方を選びました。 とにかくやってみようという事です。 あと好奇心が強いですね。 それが作家になった最大のエンジンだったかと思います。 小説は私の好奇心の結晶のようなものです。 『リボルバー』はまさに私の好奇心が全開になっているものなので、それが読者に伝わればいいなあと思っています。 戯曲に対しても同様に好奇心です。