長野ヒデ子(絵本作家) ・【人生の道しるべ】コドモの力を信じターイ!
長野さんは昭和16年愛媛県今治市生まれ、79歳。 長野さんの代表作「せとうちたいこさん」の本は26年続く人気シリーズです。 好奇心旺盛の魚のタイのお母さんが陸の世界でいろんなことに挑戦するのですが、最後は慌てて海に戻ってホッとする姿は瀬戸内海で育った長野さんご自身と重なる絵本です。 今年は長野さんが絵本作家として「とうさん、かあさん」でデビューしてから45年、長野さんは子育てや文庫活動の経験、出会った人々との交流の中で一つ一つ代表作を生み出してきました。
現在鎌倉に住んでいて、朝ラジオ体操から始まります。 家の周りの動植物を観察したりします。 日常生活の中に琴線に触れるようなことがあったらこれを絵本にしていったらなあとか思っています。 「せとうちたいこさん」の本は26年続いています。 海外でも翻訳されて出版されています。 最新刊がせとうちたいこさんが富士山に登るという、富士山とお友達になるという話です。 瀬戸内で育って魚にはなじみがあるし、タイを食べて育ったし、でも今の子は肉であまり魚はたべないので、もっと魚に興味を持ってもらいたいと思って魚を主人公にして作ってみたらと思いました。 「たいのたいこさん」という歌もできました。 作詞:長野ヒデ子 作曲:中川博隆 歌:長野ヒデ子
子供のころはよく忘れ物をする子でした。 小学校3年の時にレントゲンを取ったら影があって、一学期休むことになりました。 そうすうると余計ぼーっとして、何かを眺めて想像したり、そういうのが癖になりました。 物語を作る癖がついた感じでした。 子供のころは図書館もなく近くには本屋もなくて本には出会えませんでした。 絵本は絵がきれいだし読みやすいので、絵本を買ってしました。(1960年代) 子供たちが家に来て本を読んだりしているうちに子供とも親御さんともだんだん親しくなっていきました。 引っ越しを何度もしましたが、地域地域でいろんな友達が出来ました。 夫が転勤族だったので引っ越しは13回になります。 文庫活動をやりたいと思いました。
昭和51年に「とうさん かあさん」という絵本で 作家デビュー。 手作りで、広告の紙の裏とかに落書きを書いて、 子供のリクエストのまま描いたりしたものをホチキスでとめただけのいい加減なものでした。 そうしたらたまたま九州の出版社の福本満さんという方が、面白いからこの本を出したいという事で、出すことになり賞をもらったりしました。 第一回日本絵本賞の文部大臣奨励賞を受賞。 いい編集者に出会えてよかったなあと思います。 どうしていいのか自分でもわからなくって絵本作家の人に聞いてみたら、「絵本を作るうえで大事なものが全部入っている」と言われました。 「子供のどんなくだらない質問にも馬鹿にしないで、対等に向き合って作る、子供の絵本を作る時に一番なくてはならないものだ」という事でした。 「人間と人間として向き合って伝え合う、話し合う、そのことがないと子供の本にはなりません」と言われました。
児童文学作家の今西 祐行さんと出会う事がありました。 国語の教科書に載っている「太郎コオロギ」、「一つの花」とかを書かれた方です。 食育教育のようなことを今西先生のところでやっていてそこに通う事になりました。 「創作も野菜つくりも全くおんなじだ」といわれました。 「雨とか、おひさまとか、目に見えない自分ではない力をもらって育って収穫する、アイデアが浮かぶのはそれは種だ、だから野菜とおんなじだ」と言われました。
おかあさんもこうして生まれたんだという事を視点を広げて「おかあさんがおかあさんになった日」が出来あがりました。 産経児童出版文化賞を受賞。
新美 南吉 「きつね」という作品に絵を描いて作品にしています。 新美 南吉は4歳で母親が亡くなり養子に出されます。 新美 南吉に出会えてよかったなあという作品です。 29歳で亡くなる直前に書いた作品。 私の父と新美 南吉が亡くなった歳と同じぐらいなんです。 私の歳でいうなら結婚して希望のあるころに自分で命を絶ったんです、4歳のころでした。
戦争体験談の文章 「1945年5月8日 4歳 病弱の父に赤紙が来た。・・・1945年8月5日 国策によりタオル工場は飛行機の部品を作る工場になっていたところもあった。 深夜B29襲来。 ・・・焼夷弾が落とされた。 ・・・防空壕では危ないという事で防空壕を出た。 ・・・祖母は私にかぶさり芋畑に伏せる。 空襲で市街地は焦土化し、454人が亡くなった。 ・・・夜が明けて8月6日 対岸の広島に原爆が投下された。 1945年8月15日終戦。 その秋4歳。 死んだような廃人になって父が帰ってきた。 ・・・父はぼーっと日向ぼっこか読書だけの日々。 私はそんな父が好きで背中に乗った。」
井戸の中に自分がいるといっていて、父が井戸に飛び込んで、医者が来たりして人工呼吸をやっていたが、その姿を私は目の当たりに見ていて、可愛そうで涙も出なくて、その時にお父さんを守ってあげなければいけないと思ったの。 しばらくして西田幾多郎の記念館に講演を頼まれていったんですが、パネルがあって西田幾多郎の言葉がありました。 「井戸の中にあなたがいる。」と書いてありました。 うちの父は読んでいたんだろうなあと思ったりしました。
子供でも判るが、子供は人に伝えるすべが判っていない、でも人は生まれながらにして感じる事とか思う事とか関係なく同じだと思います。 子供から大人まで判ってもらえるようなものを書きたいし、楽しい嬉しいことがあると元気になるので、その中に大事なものが自然と入れたらいいなあと思います。 日常の生き方が問われるという感じです。