2021年6月23日水曜日

木村智子(コミュニティーガーデンコーディネーター)   ・【心に花を咲かせて】ガーデンから始まる理想の社会を夢見て

 木村智子(コミュニティーガーデンコーディネーター)   ・【心に花を咲かせて】ガーデンから始まる理想の社会を夢見て

小さいころから花に親しんできた木村智子さんは千葉大学の園芸学部に進み、造園コンサルタント事務所に就職、結婚後東京近郊に住みながらも実家の浜松で花屋の手伝いをしたことで、花が人と人を結ぶ力があることを実感したといいます。  現在コミュニティーガーデンコーディネーターとして仕事をされてますが、その活動の基にあるのは、花や緑を通して作りたい社会があるんだそうです。  

日本のかなり初期にオープンガーデンを立ち上げ、その後シンガポールに行って熱帯雨林に熱中、戻ってきた今はコミュニティーガーデンコーディネーターとして仕事をしている。   コミュニティーガーデンコーディネーターは資格とかではなくて、シンガポールから帰ってきてひょんなことからコミュニティーガーデンに関わることになりました。   コミュニティーガーデンは公園とか施設の外側の道路に面したところを一人ではなく何人かで、花の手入れをしてみんなに見てねという事になればそこがコミュニティーガーデンと考えています。   

コミュニティーガーデンコーディネーターを名乗り始めたのが7,8年前ぐらいからです。  あまりいないです。  造園コンサルタントと言って公園とかを設計する会社にいました。   コミュニティーガーデンコーディネーターとしては意見をまとめてアドバイスだけではなくて設計もします。   最初の仕事は小さな児童公園を改修したいという事があり、住民からお話を聞くという事があり、話し合いの結果そこを地域の公園にしたいという事で、話し合いのなかで自分たちがしたいことが形として見えてきて、花を植えるぐらい自分たちでやるという風に変わっていきました。  工事後に花を植えて花の維持管理をするようになったという事がありました。  それから10何年たちます。  今でも綺麗に管理して集っておしゃべりなどをしています。

父が花が好きで会社を辞めて花屋を始めました。   お客様とのお茶会をやっていまして、花が好きというだけですぐに仲良しになりました。   それぞれの庭を見に行くという事もありました。  それをきっかけに浜松のオープンガーデンを1977年に立ちあげました。   花は人をつないで街を明るくする効果があるなと思いました。 

2002年、仕事の中途で主人の関係でシンガポールに行くことになり、仕事もないので引きこもりの日々を過ごしたこともありました。(37歳ごろ)   熱帯の植物を知って帰ろうと思って、或るグループに参加したら熱帯雨林が壮大なドラマを背負った緑の塊という事、それぞれが絡み合って複雑に生きている、という事にびっくりしました。  生物多様性という事をようやく知りました。  シンガポールには熱帯雨林はほとんどなくてそれでも160ヘクタールぐらいありました。  二次林が広く残されています。 熱帯雨林に関する趣味が高じてガイド資格を取ってガイドするようになりました。  マレーシア、インドネシアに行く機会があり、あまりのすさまじい勢いで熱帯雨林がなくなってゆくのを見てショックを受けました。(油ヤシのプランテーションに置き変わってしまう)

日本に戻ってきて熱帯雨林のことを話そうとしたが、日本の森にも興味があまりない中で、熱帯雨林に興味を持つ人などいないという事に気が付きました。   目の前の花とかがきれいだという人たちを一人でも多く作れたらいいのではないかと思いました。  園芸に戻ってくるきっかけになりました。  みんなが集うという事に加えて、自然を守りたいという人を増やす意味があってその活動をしています。 

清瀬では高齢者施設の前庭をお手伝いしています。   予算もない、人もいないという状態だったので、助成金もあるうということで申請書を書いて50万円の助成金を頂き、30人が2回集まって改修作業をして素敵なガーデンを作って、月に一回近所の方たちが集まって手入れをすることで素敵な前庭になっています。 30m×1~3mという面積です。  植物を持ち寄ったりもしていました。  人を集めるような仕組みを作ったり、仕組みを作れるようにアドバイスするといった感じです。   

コミュニティーガーデンをやって地域が花で綺麗になって明るくなると、犯罪が起きにくくなるといわれています。  安全安心の町にコミュニティーガーデンは貢献しているんじゃないかなと思います。   

国立市にある滝乃川学園でコミュニティーガーデンをやっています。   2016年から始めています。  滝乃川学園は日本で一番古い知的障害者施設なんです。(120年を超える)   建て替えで空き地が出来て、どうしよかとの相談がありました。   交流が出来たり理解し合えるような場所にしたいという意見が出てきました。   相模原の津久井やまゆり山事件が起きて、あまりにもショックでこの場所を開くという事はもうできないんじゃないかと思いましたが、会合の時に理事長以下地域関係者などを含めて集まっていましたが、理事長からセキュリティーは上げるが門は開いておくという話をしていただき、やることになりガーデンを作ることになりボランティアの協力を得て進めていきました。   今は月に一回のガーデン作業をしています。   知的障害の方を含めいろんな人たちがいることでバランスが取れて行く社会だと思うので、受け入れて一緒に暮らしてゆくという事はとっても大事なことだと思います。   一緒にいられる空間としてのコミュニティーガーデンというのはとっても貴重な場所だと思います。

生きづらさ感じて居る人たちが外へ出るちょっとした一歩というのに、コミュニティーガーデンがとっても役に立つなあと思っています。  しゃべらなくてもそこでお手伝いの作業をするだけでも行くことはできる。   みんなが幸せを感じて笑顔でいられるような、そんな町を花とか緑を通して作っていけたらいいなあと思っていて、私自身はそのためのお手伝い、サポートする存在に成れたらいいなあと思っています。