森山まり子(自然保護団体前会長) ・森のクマが教えてくれたこと
24年前大学生になった教え子たちと自然保護団体「日本熊森協会」を結成しました。 熊の住める奥山、水源の森の再生活動に人生をかけています。 森山さんを自然保護活動に結びつけたのは、中学校の理科教員の時、絶滅しそうなツキノワグマを救いたいという中学生たちの思いがきっかけでした。 そしてツキノワグマを守りたいという思いがたどりついたのが、豊かな水を生み出す奥山の森がいかに大切なものかという事でした。 森とツキノワグマと人々の生活にはどのようなかかわりがあるのか、「森のクマが教えてくれたこと」いう事で伺いました。
今から30年前になりますが、教え子が新聞記事を持ってきました。 がりがりに痩せたツキノワグマが出てきて撃ち殺されて、写真が大きく出ていました。 新聞記事を最後まで読んで大きな衝撃を受けました。 日本の森や動物たちが大変なことになっているという事がそれまで全く知りませんでした。 原生林を大規模伐採して儲かりそうな、スギ、ヒノキだけ植えて人工林に変わっていった。 秋になっても動物が食べられる実がならない。 針葉樹は日光を通さないので下草が消えてしまった。 生き物がいない死の森になってしまっている。 クマなどが生きられなくなって出てくると、撃ち殺して駆除してしまう。 冬眠するためのうろもなくなってきてしまった。 ツキノワグマが絶滅寸前ですと書いてありました。 生物の多様性を守ることが最も大事という事を教えていたので、日本文明の存続にかかわる大変な事態だと思いました。 自然保護団体は日本では育っていないことが調べてわかりました。
クマの住んでる森は水源と関係があることがわかりました。 1997年に「日本熊森協会」を設立し調査を始めました。 最初は人工林に入りましたが、薄暗くて、水路が干上がっていました。 兵庫県と鳥取県の間の氷ノ山(ひょうのせん)というあたりに原生林が残っていたので調査をしようと思って入りました。 ブナ、ミズナラの落葉広葉樹の森でした。 光を通して下まで明るくて草などいろんな種類がびっしり生えていました。 虫がいて、鳥の声も聞こえました。 動物たちが草を食べた痕跡なども見られました。 自然の森は生き物たちが森を作っているんだなあと思いました。 クマは年間に200種類ぐらいを食べるそうです。
西洋では生き物を次々に絶滅させてきてしまっていました。 里山の奥に江戸幕府が木を切ってはならぬという聖域を作ったので、動物たちは奥山でひっそりと生き抜くことができた。 仏教の影響などで明治政府になるまでは1200年間殺生禁止が続いていた。 広大な原生林が残っていた。
岡山県と兵庫県の境にある原生林に調査に行ったときに、大雨の中を見ていましたが、葉っぱが雨を受けて枝から幹に集まってくるんです。 幹が川のようになっていました。 下には落ち葉があり水が流れない。 原生林の保水力にびっくりしました。 晴れている日でも落ち葉が濡れていて裏側には菌類が付着しています。 数十年かけて水が湧き出してきて栄養分豊かな水が出てくるわけです。
温暖化の影響なのかミズナラが多いところでは9割枯れて仕舞いました。 ブナの実は中が空っぽで食べられません。 原生林が変わってきてしまっていて、保水力もなくなってきて、年ごとに変わってきています。
自然のなかで生きてきたあるおばあさんが「私たちは妻さんが棲んでおられるあの山から水をもろうて生きてきた。」というんです。 21世紀は水で戦争が引き起こされるかもしれないとある先生が講義をしたところ、或る生徒が「水道があるから大丈夫です。」と答えたということで、全然理解していないことに唖然としたそうです。
当初は少人数だった会員も今では全国に約1万9000人を数えるまでになり、行政の方々に意見を言っていますが、なかなか取り上げてもらえない。 生徒が言った言葉が今も忘れられません。『大人は子どもに愛情なんてないんと違う? 自然も資源も自分たちの代で使い果たして、ぼくらに何も置いとこうとしてくれないんやな』 私たちもこの言葉をしっかり受け止めて、大人は未来の子ども達に何をすべきか今一度考えていきたいものです。
自然は人間が思うようには何一つならないですね。 苗木を植えても翌年に行くと枯れていて、横に違う木が生えてすくすくと育っていました。 自然にまかすのが一番いいと思うようになりました。 場所によっては実のなる木を植えたりしています。
「日本熊森協会」の大学生たちが くまもりソング「豊かな森をとりもどそう」という歌を作って子供たちに歌ってもらって、森や動物を守ろうという運動をを知らせるという事をやってもらっています。