井上鑑(作曲家) ・葉っぱのフレディ、今だから伝えたいこと
井上鑑さんは1953年(昭和28年)にチェロ奏者の井上頼豊さんの長男として、東京都で生まれました。 桐朋学園大学音楽学部作曲科で三善晃氏に師事します。 大学入学前後からCM音楽の作曲やスタジオワークを始めました。 1980年スーパーバンドPARACHUTE(パラシュート)に参加、3枚のアルバムを出します。 1981年ソロデビューの後に井上さんが編曲を手掛けた寺尾聰の『ルビーの指環』が日本レコード大賞を受賞、その後も大瀧詠一さん、福山雅治さん、佐野元春さん吉田兄弟など多くのアーティストのプロジェクト、ヒット作品に参加します。 2013年から「連歌・鳥の歌」プロジェクトを主催し、スペイン、ウクライナでもコンサートを開催しています。
4月にNHKで放送された「我が心の大瀧詠一」では編曲とサウンドプロデューサーを担当。40年近く仕事をしていますが、大瀧さんとは最初のころからかかわってきていて、大事な人でした。 超一流のアマチュアリズムを持っていて、音楽はメインで詳しいんですが、それ以外のことに関しても非常に視野が広くて、ものすごい知識人なんです。 深く多方面にといった感じです。 刺激を与えてくれるという事という意味では非常に影響が大きかったです。 野球とか相撲とかも知識の幅が半端ではないんです。 自分の仕事を選ぶ人というのは、或る意味では究極のアマチュア精神を持っているんじゃないかと思います。
1999年に森繁久弥さんの朗読によって生まれた『葉っぱのフレディ』に、東儀秀樹さんと一緒に音楽を担当。 (『葉っぱのフレディ』は、アメリカの教育者レオ・バスカーリア(1924~1998)が、不治の病におかされていた子どもに「死」の意味を伝えようと書かれ、1982年に出版されました。) 『葉っぱのフレディ』に関しては共感ポイものは自分としてはそんなに好きではないです。 誰がかかわるかという事でそれがものすごく変わるんだなという事がこの時に思いました。 森繁久弥さんの朗読は上手なのかよくわからないかもしれないけれども、人に伝わる熱量がすごい、さすがだなあと思いました。 当時森繁さんは長男を亡くして失意のどん底にあったようです。
20年ぶりに『葉っぱのフレディ』の音楽を担当。 (宇崎竜童を語りに、井上鑑、キーボード、德川眞弓がピアノ) 長生きする作品というものは元々力があるんだなという事は一番最初に感じました。 音楽も命を長く保つことが難しい時代になってきて、一つの作品、曲が長い間受け渡されてゆくことは奇跡ですよね。 その事にかかわれているというのはすごくうれしいです。 一個の曲とか言葉にどれだけのエネルギーを吹き込むかという事が精神的なことも必要ですが、同時に技術も必要で、客観性というか自分だけ熱くなってもその熱さは伝わらないという事を知っている人が仕事をしないと伝わらないという気がします。 森繁さんと宇崎竜童さんではエネルギーの質は違うがエネルギー量とか熱とかは同じものを匠の技として表現していると思います。
今回新曲を作りましたが、楽器の要素が減るという事は大まかにいうと、鋭さが増すというメッセージになると思いますし、逆にいろんな変化はつけたくなるので、演奏、編曲とかも持っている役割は増える。 ピアノ、シンセサイザー、朗読という3人だけでできる3人だけでできるという事は身動きが軽くなります。 生きている生物みんなにとっての問いかけだと思うので、それが判りやすく書いてあるというのがこの話の特徴だと思います。
父はチェロ奏者の井上頼豊、生徒が演奏したりする音楽のすぐ横にはいたんですが、人を楽しませるための音楽ではなかった。 ビートルズとかサイモンとガーファンクルとか聞いていいなあとは思って友達とまねごとをしてみたりしました。 ヴァイオリンとピアノを習いましたが、2か月ぐらいしか続かなかったです。 小さいころ縫いぐるみ人形がいっぱいあり配役を当てはめてオペラみたいに一人でやっていました。 高校時代、学園紛争の時代で、都立青山高校に入ったんですが、学校が封鎖されて授業がなかったんです。 周りは東大に一杯いって、この先どうしようかと考えました。 友人がジャズにはまったり自分でも音楽を楽しんだりはしていました。 音楽に対して充実感を感じていました。
1981年編曲した寺尾聰さんの『ルビーの指環』が大ヒット、レコード大賞を受賞。 時代との出会いのタイミングが良かったのかなと思います。 ジャズとロックが近づいた時代ですが、ラテンの感じがあってそのコンビネーションが、今を感じるバランスにうまくまとまったんだと思います。
長くやってこられたのは、周りの人との出会いがすべてだと思いますが、お互いの周波数があったときにいい仕事が生まれると思います。 「生まれた時にすぐに消えてゆくのが音楽の宿命」というのは、演奏しているとその場からどんどん減衰して消えて行ってしまう、そこが音楽の魅力で、作る側にとってみては消えてしまってゆくからこそ、毎時間、毎秒音を出しているという事が音楽の本質なんだという風に感じることができると感じるんで、同じ録音されたものを聞くのでも、晴れた日と雨の日でも違うし、特に『葉っぱのフレディ』のような作品の場合には聞かれる方の置かれている気持ちのありようで、すごく変わって聞こえたり違うものになると思う。 作ってる側の出している音にはメッセージがあるのでおなじものを含めて伝わる。 それが素敵だなあと思います。 コロナの時代で難しいが、生の演奏の良さをたくさんの人が改めて楽しめる時代になってほしいと思います。 消えるのは音で音楽は消えない、伝わってゆくと思います。