2021年6月16日水曜日

近江俊哉(元WSLジャパン代表)    ・【スポーツ明日への伝言】大海原に飛べ ~サーフィンの魅力を語る

 近江俊哉(元WSLジャパン代表)    ・【スポーツ明日への伝言】大海原に飛べ ~サーフィンの魅力を語る

今度のオリンピックから新しい競技として採用されるサーフィン、オリンピックでは人間の背丈ほどの長さのボードを使います。   ショートボードというカテゴリーで行われます。 このサーフィンの魅力、競技としてのサーフィンの見方などについて元WSLジャパンの近江俊哉さんに伺います。

ハワイから帰国したばかりです。  街には思ったよりも人がいました。  観光客がたくさんいました。   海ではサーフィンをやる方が増えて居ました。  

WSL(World Surf League)は世界中のプロサーフィンを統括する世界の団体です。  世界中から集まって試合をしてゆきます。  起源は1976年で当時はIPS(International Professional Surfers.)と言う団体で、7つの海を世界中に存在するプロのサーファーを集めてリーグ戦にして賞金を出して活動できるようにしようという風に始まったものが、現在に至っています。  

サーフィンはアドベンチャースポーツでしたが、しっかりとしたアスリートスポーツに変化して東京オリンピックに選ばれたことは非常に喜ばしいことです。  

近江さんは1962年、神奈川県湘南の鵠沼の生まれ。  1980年代から国内外のプロサーフィンツアーで活躍、世界中のサーフスポットを訪ねて回りました。  その後サーフィンの専門誌を監修し、ワールドサーフリーグなどサーフィン競技の運営などにも携わってきました。

サーフィンとの出会いは12,3歳のころでした。  頬に流れる風の快感が今でも忘れられません。  一本目でボードに乗れてしまい長続きしそうだなあという実感がありました。    友達がサーフボードを持っていまして、二人でやっていました。  それからはほとんど毎日海に行くようになりました。   サーフィンの映画があり観に行きました。  それを観たら今まで自分の中にあったサーフィンとは全く違って、世界のサーフィンはこんなに違うのかと思いました。  プロサーファーになって世界の海を回りたいなあと純粋に思いました。    大先輩のところに弟子入りするみたいな感じで、門をたたきました。   1979年に一つ上の先輩がハワイに留学することになり、自分も行こうと思って、現地のプロのサーファーに教えてもらいました。  翌年また行ったときにホームステーして、ビザが許される限り6か月間いました。(18歳)  

プロのサーファーとしてできるようになったのは20歳過ぎてからです。  1980年代前半にオーストラリアに行くことが出来て、大会に参加して、車であちこちに行きました。  ハワイのノースショワ 世界で一番の力のある波で、10kmぐらいのところにサーフスポットがあり、海の底が岩でできていてその地形によって、右、左に乗りやすいとかいろいろな波があります。  波のサイズも大きいです。

東京オリンピックでは千葉県の一宮町釣ヶ崎海岸が舞台。  海の底が砂でできていて、砂の地形ができやすい場所で、九十九里浜の波を受けやすい場所にあります。   

競技は4人一組のグループ(1ヒートという)を作って、1ヒートごとに50%が勝ち上がるうというトーナメント方式です。   1ヒートは20分間で構成されます。  優先順位のルールがあり、波が崩れる時に白波になるが、そのピークに近い人から優先的に波を捕まえ ることが許されている。  色付きのジャージを着て、赤、白、黄色、青になります。  5人の審査員が居て、波のサイズ、やっているときのスピード、難易度の高い技、それをミスのないように出来るか、その技の組み入れたバリエーションの豊かなサーフィンに対して高い点が与えられる。  波の様子を自分なりに計算して、来る波に山を張って波に乗る、その駆け引きがあります。   頭の中にイメージしておいたことを来た波に乗って、常に修正しながら行います。  バリエーションを変えてきた選手には高い点が出ます。  

競技だけでなくても一本一本違って来る波を捉えて、自分が考えているイメージ通りにサーフィンが出来た時には至福の時間が一番楽しい時だと思います。   これがサーフィンの魅力の原点だと思います。  

世界のランキングでは男子ではブラジル、アメリカ、南アフリカ、ポルトガル、女子はハワイ、フランス、アメリカ、ブラジルなどが強いですね。 オーストラリアもあります。 

ハワイはアメリカ国旗ではなくてハワイの旗です。  サーフィン界だけの特別なことです。  ハワイの場所に対しての敬意です。  船から島に向かう時に王様だけが長いサーフボードで波に乗って岸に上がるという神秘的な儀式があったらしいです。  それが進化して近代サーフィンになりました。 

五十嵐カノア選手には期待しています。  彼が10歳未満のころに湘南の子供の大会で彼を見ました。   2010年 NSSA全米ナショナルチャンピオンになりました。  彼はスタイルのいいサーフィンをします。  一つ一つが精密な機械のように、彼はそれが出来て居ます。