2021年6月26日土曜日

矢満田篤二(社会福祉士)          ・親なき赤ちゃんの幸せを願って

 矢満田篤二(社会福祉士)          ・親なき赤ちゃんの幸せを願って

深刻化する子供の虐待、毎日の様に子供の虐待や虐待死の悲しいニュースが報じられています。   虐待で死亡する子供の年齢は0歳0か月0日つまり生まれたその日に命を絶たれるというのが一番多いというのはご存じでしょうか。  こうした子供の虐待死を防ぐ切り札の一つとして注目されているのが、赤ちゃん縁組です。   愛知県の児童相談所が全国に先駆けて30年以上前から取り組んできました。   愛知方式とも呼ばれています。  愛知方式は予期しない妊娠、出産によって育てられない赤ちゃんを産院から乳児院を経ずに直接養父母に託すのが特徴です。   里親制度を活用し、新生児を特別養護縁組する前提で里親に委託します。  出産後生みの親の承諾が得られれば、縁組の手続きを進めます。  この場合戸籍上も親子となります。   このプロセスは愛知県の児童相談所ではノウハウが明文化されていて、一般的なケースワークとして行われています。  国は2016年に児童福祉法を改正し、すべての子供の生活の場として家庭を優先することを法律ではっきりと示しました。    愛知方式はまさに赤ちゃんを家庭に託すという取り組みです。  この愛知方式、実は当時愛知県職員だったたった一人の奮闘から始まりました。  社会福祉士で元愛知県児童相談所児童福祉士の 矢満田篤二さん87歳です。  

愛知方式は生んだ人が育てられない赤ちゃんを、従来は乳児院に保護していますが、特に置き去り赤ちゃんなどは親がいないわけですが、夫婦と養子縁組しますから一般の家庭のように親の愛情を受けて育てられることができるという素晴らしいことなんです。  私が担当した女の子は中学1年生の2学期に出産しています。  小学校6年生の3学期ぐらいに受胎しているわけです。  通り魔のような事件だったようで、親も気づかずお腹が痛いという事で救急搬送された病院で産婦人科に回されるというケースでした。  女性のは被害者として妊娠させられてしまう。  是非育てたいという人も待機していますが、育てるほうの人も育てられる側の人も産院で両方涙を流しているんです。  親子の結びを最初からきっちり結んでいくように努めているのが愛知方式の特徴の一つです。   

ほかの例で、高校生が性的被害で妊娠してしまって、自殺を企てましたが、未遂に終わって、東京の学会で報告したのが全国誌に掲載されて、電話があり愛知県以外からも養子縁組がありました。   母子手帳が必要になるが、作戦を立てて生む側の住所がわからないようなやり方で連携を取って高校生、養子縁組側の人の受け入れる体制を整えました。  予定していた産院に入って無事女の子を出産して、名前を養子縁組側の人が考えてその名前を出生届けに書き込むという事になり、養子縁組先の長女として戸籍に入ることができました。   当時の赤ちゃんは今では結婚して40代近くなって、幸せなお母さんになっています。  

血は繋がっていなくても、男の子はお父さんに、女の子はお母さんに似てくるんですね。しゃべり方、仕草も似てきます。  子供は安心して寄りかかって育てられるのが大事だという事です。  赤ちゃんは母親に抱かれて守られていなければいけなかったという古い歴史があり愛着形成となります。  すべての子供は家庭で育てられる権利を持っているはずです。   

児童相談所では転勤があるので、連絡を取れなくなってしまう場合が多々あり、そういった養子縁組の人たちで交流会を作ったらどうかと提案しました。   愛知県では交流会が出来て、そこに行けば堂々と会いに行けて、自分の仕事の結果を確認できるわけです。   みんな子煩悩で自分の子供が一番と自慢してくれています。  嬉しかったですね。 今でも愛知県では続いています。

児童相談所に転勤になって、大人本位で子供本位でないやり方にびっくりしました。   産婦人科医会(3000人以上親子結をしていた)を訪ねました。  素敵なことだが医師はあまりPRしていない。  通って聞いたらいろいろなノウハウを教えてもらいました。  一番いいのは子供の名付け親になってもらいなさいと言われました。  自分で名前を付けると責任感を負わなければならないと感じます。    子供本位の考え方をするようにという事も教えてもらいました。

産婦人科医会の会長の山原秀さんが、キリスト系の教会の宣教師が子供たちをたくさん引き取って育てているのを見て、産婦人科医会としても何かできないかということで養子縁組を考えました。  それを児童相談所に取り入れました。  経験してきたことを見ると間違がっていないという事が判りました。

私は満州で生まれて、ソ連軍に侵攻されて、中には父親はシベリアに連れていかれて、母親と兄弟たちは逃げまどって、食べ物もなく餓死していったりして悲惨でした。  幸い両親とともに周りにお世話になって日本に引き上げることが出来ました。  その恩返しをしないといけないと思いました。  せめて親の愛情を求めている赤ちゃんに、子供として可愛がってあげられる環境を、と願いました。  子供は幸せになる権利を持って居ます。  それを大人が保証しなければいけないと思います。 

矢満田さんによって27年前赤ちゃん縁組をされた静岡県の方からお便りをいただきました。「娘と初めて会ったのは生母さんのお腹の中でした。 ・・・出産まえのお産教室に生母さんと一緒に通い出産にも立ち会い、生母さん、娘、私と3人で入院するなどまさに自分が妊娠出産するなどしているかのような体験をさせていただきました。  生まれた瞬間「私の子供が生まれた」と思いました。  「へそのおを切ってください」と生母さんから言われ、へそのおをきって、今でもその感触を覚えて居ます。・・・娘への最後のプレゼントがおっぱいでした。  私たちから最初のプレゼントは名前です。・・・ 生母さんから安心して手放せるという内容の手紙を頂きました。・・・  養子であるという事は意識したことはありません。  他人の子を育てているという感覚は全くありません。  ・・・娘が成人した時に生母さんから預かっていた娘宛の手紙と生母さんの写真を渡しました。 ・・・会ったとしても知らない人だしと、意外な返事でした。 ・・・  一緒に過ごしてきた歴史こそが親子の絆なのだと思っています。・・・今は孫にも恵まれ、娘とは違うかわいらしさを味あわせてもらっています。 ・・・娘と出会えた矢満田さんに感謝。 娘を生んでくれた生母さんに感謝。 そして私たちの娘になってくれた娘に感謝しています。」