片岡 護(イタリア料理店 オーナー・シェフ)・〔美味しい仕事人〕 イタリアンをもっと身近に
日本でイタリア料理が一般に広まって行ったのは1970年代後半から80年代にかけてと言われています。 当時イタリア料理のことをイタ飯と呼ぶなど、ポピュラーな料理になって行きました。 片岡護さんはそうした時代に、本格的でしかも和食の心にも通じるイタリア料理を提供して、日本にイタリア料理を広めていった料理人のお一人です。
日本イタリア料理協会の代表も務めています。 料理講習会もありますし、給食見たいな事もやります。(別の団体があり、学校に行ってイタリア料理だけではなく、学校料理を作ります。) 日本のイタリア料理店は3万軒ぐらいあります。 東京は8000件ぐらいです。 イタリアの旬の食材もはいって来ます。 僕が一番好きなのはグリーンピースです。 そう言った食材の難点はちょっと高いという事です。 イタリアの食材も段々日本でも作れるようになりました。
僕の店は1983年にオープンしました。 戦前から有った店も数える程でしたがありました。 一般的になってっ来たのは80年代で今は花が咲きました。 工業デザイナーを目指して芸大に行こうとしましたが、2浪して、その後イタリアの総領事館でコックの話がたまたま来ました。 周りの相談して、コックになりますと言ったら、もうコックは決めてあると言われてしまいました。 日本料理の「つきぢ田村」で3か月修行することになりました。 そこからイタリアに行きました。 総領事とその奥さんが食べる事が好きでした。 奥さんが料理が上手でしたので、奥さんに習ってちゃんとやりなさいと言われました。 絵筆を包丁に持ち替えたという感じです。 芸大から予備校に来ていた先生が「皿の上にデザインするのとキャンバスの上にデザインするのと同じだよ。」と言われて、そうだと思いました。
ミラノに行って奥さんに習いましたが、毎日お小言で大変でした。 現地の日本料理屋さんのご主人と友達になって教えて貰ったり、イタリア料理は総領事のお友達を介して、いろいろなところにいかされました。 総領事館のコックとして信用がありましたので、いろいろ勉強させてもらいました。 でも大変でした。 ウナギ料理を頼まれてもさばき方も知らないので、ウナギ料理店に行って教わりました。 素人でもできる方法があり、ウナギを新聞紙にくるんで冷凍して、冬眠したところを生きているうちに、さっとさいちゃうんです。 おろし終わって頭をポンと落とした時点で目が覚めるという方法です。 ウナギの匂いはおいしそうな匂いなので子供たちが寄って来ます。 イタリアでもウナギを食べますが、ウナギのかば焼きにはかなわないです。 いろんなイタリア料理店に行って習いました。(休日) 料理を習うために全部お金をつぎ込みました。 パスタの美味しい店をやりたいという目標もありました。 最初にカルボナーラを食べて感激しました。
日本から総理大臣とかVIPが来ますが、豆腐などは日本から取り寄せます。 でも自分には技術が無いので豆腐の作り方はあの店に行って習いなさいということになります。 自分でやっても最初はなかなかできないんです。 大豆はイタリアもありますが、小さくて硬くて違うんです。 白い豆腐にならなくてちょっと茶色っぽくなります。 日本の大豆で作ると本当に美味しい豆腐が出来て、それをいろいろな料理に広めていきました。 イタリアは鮭は取れないので天然の冷凍の鮭を買いに行きます。 解凍して開いて塩を振って地下室に吊るしておきます。 そうすると凄くおいしい鮭が出来るんです。
帰国後、洋食の修行をしなさいという事でかなり有名な店に入りました。(25歳) 色々あり、気を使うのが大変でした。 もう一度イタリアで修業をすることになりました。(3か月ぐらい) 戻って来てからイタリアレストランを6年間行いました。 34歳の時に独立したのが今のお店です。 6年間やっていた時のレジ係が妻です。 その時の店は自分がやりたいと思っていた小皿料理で毎日満席でした。 いろんなイタリア料理を知って欲しかったという事と日本料理のイメージもありました。 伝統的な料理ではなく、健康、盛り付けなどを考えた新しい料理が広がって行きました。
日本料理は油などをあまり使わないので軽い。 イタリア料理も比較的軽くて似た面があります。 一番の共通点はパスタ、麺にあると思います。 ソースが違うだけの話です。 麺は歯ごたえのあるもの、のど越しです。 75歳になりますが、パスタは永遠だと思っているので、自分のパスタ観をやって行きたいと思っています。