2024年6月9日日曜日

畑村洋太郎(東京大学名誉教授)      ・「失敗学」の視点で「老い」の問題に対処する

畑村洋太郎(東京大学名誉教授)      ・「失敗学」の視点で「老い」の問題に対処する 

畑村さんは1941年東京生まれ。 東京大学工学部機械工学科卒、大学院機械工学修士課程修了、長年大学で教えてきました。 専門は機械工学ですが、同時に世の中の失敗に注目し体系的にまとめた「失敗学」を提唱しました。 失敗学会の設立にも携わり、「失敗学のすすめ」「だから失敗は起こる」など著書も多数あります。 83歳になった畑村さんは失敗と人間の老いには共通する点があると指摘し、今年一月「老いの失敗学」「80歳からの人生をそれなりに楽しむ」と言う本を出しました。 ご自身の老いの体験を交えながら失敗学で得られた知識を老いが抱える問題の対処に生かせるかもしれないという考えから、執筆をされたと言います。 

「三現」、現地に行く、現物に触る、現人と議論する、という3つを主題にして、いろんなことをやっていました。  コロナで全部面と向かって話をするという事が出来なくなって、ほとんど全部やめることになってしまいました。 新しい本を作らないかと言う話があって、突然できてきたのが「老いの失敗学」という本です。  老いて行くという事とネガティブな事で語られているけれど、新しい事、自分がそれまでに考えていなかったことと言うのがいろんな形で出てきているというのを書いてみました。  

大学でこういうものを作るにはこう作ったらいいよとか、こう考えたらいいよとか、教えていて、上手くいくやり方を教えていました。 学生はつまらなそうに居眠りをするんです。 しかし失敗のなかで対応する中で進歩してゆくんです。 失敗と言うのはどんなふうに失敗してしまうのか、その中からどんなふうに進歩してゆくにか、人類の作ってきた知識、経験はそういった失敗の中から全部が出来上がっているというのを考えて、学生に教えてみたらいいのではないかと思って、失敗ばっかりを集めた本を作ったんです。 その本が物凄くよく売れました。 飛行機、大きなつり橋などは使えるようにするまでに、物凄い失敗、事故をおこしているんです。 

失敗と人間の老いには共通する点があります。 どちらも初めて出会う事なんです。 初めから失敗をするんだという風に、きちんと自分の考えが進んでいれば、起こる結果が酷いものにならないし、学び取るものも凄くきっちりと学び取るという事が出来るようになる。 「老いの失敗学」と言う風にまとめててみることにしました。  前向きに捉えないと学べないし、自分自身の生き方自身が貧相なものになってしまう。  

自分が年を取って意識するようになったのは3つあります。 ①歩くのが遅くなった。  ②転ぶという事がある。(頭を打つと致命的な損傷になる。) ③頭の働き。(どうしても失敗の取り扱いは経年変化が起こるという事をはっきりと意識しないといけない。)    経年変化は、人の頭、身体の全部の動きは時間と共に衰えてゆくという線に全部乗っている。 代替わりが一回あるごとに、その人の持っている知見、経験とか、いろんな考えが半分に減ってしまう。 一世代が起こるごとに1/2、1/2、1/2に減ってゆくと、それを40回繰り返すと1/1兆ぐらいになる。 歩くのが1/1兆になるという事は動かないという事です。 そういったことが数値化が出来る。 

東日本大震災にも当てはまります。 津波が大災害を起こすことを津波学者は言っていたのに、記録があるにもかかわらず滅多にある事ではないから、いちいち取り上げて考えなくてもいいんだよと、日本中がそれに染まっていた。 代替わりしてゆくと、本当はあった事なのに、なくなってしまう、忘却曲線と言う考えで言わないといけないも物凄く大事な知識です。 

運転免許証の返納を家族に言い負かされてやりました。 東池袋で暴走して人が亡くなりました。 失敗は誰でもするんだとずっと言って、それが致命的にならないようにするのは運転をしないという事なんじゃないのと言われました。 何のために「失敗学」をやったのかと言われてぐうの音がでませんでした。  ①運転が出来なくなって不便になりました。  ②自動車、運転に全く関心がなくなってやりたいとも思わない。  

記憶力の低下、人の名前が思い出せないという事もありますが、漢字が書けなくなるという事があります。 使わないものは出来なくなる。 合唱はいいと思って始めました。   20年続けてきましたが、老いの為にことごとく駄目になりました。 指先に湿り気がなくなると楽譜のページがめくれなくなる、それがまず辛かった。  歌う事の楽しさはあります。 足を引っ張てしまうという思いはあります。 

福島第一原子量発電所の大事故の様は、日本の国全体のエネルギーが依存しているようなところの事故は、必ず起こるんです。  事故は起こらないんだという事を前提にして、全部を作っていた。  便利でいいものがあるんだったら見つけてきて使えばいいという事になってしまって行って、大きなことが起こるんだという事を考えて、それに対応するという事の準備を全くやっておかなかった。  政府から原因究明をやって欲しいと言われました。 しかし、原因究明をやっただけでは意味がないんですと、いいました。 検証をしないといけないんだと言いました。 原因究明、起こさないか、被害を小さくする方法を同時にやるのでないと、一つも事故から学んだことにはなりませんと言いました。 1年半をかけて報告書をまとめました。  しかし、全然満足ではないんです。 原因究明も表面的なところをなぞっただけで、本当の原因究明が出来ているとは思えないからです。 

老いも何も出来なくなっちゃったという、そっちの方向から見ているだけでは、物凄くもったいない気がします。 新し世界が開けるような事がありうることなんだという事に気が付かないのはもったいない。   優先する事は自分が快適に生活が出来るかどうか、やれることは少ない事しかできない、出来ないという事を知ったうえでやれるところまでを努力する。 手帳を大事にして、記憶力の低下を防ぐために活用しています。

成長してゆく過程では、失敗の連続を起こしながらその中から学んでゆくんだという事で、成長しようとすれば失敗は必ず裏腹でそいつがついて回るんだという事を認めて、失敗が悪いことだとか、損なことだとか、やってはいけないことだとか、否定的なものの見方はよそうよと、きちんとした体形的な人間の持っている宝としてきちんと扱おうという学問の体系を作るのがいいという風に自分では思いました。 

芸術とかには関心がなかったが、ピカソの「ゲルニカ」を見た時に、自分の頭に中がピカソの絵と直接に話をし始めたんです。 頭がめちゃくちゃに動いたんです。 今まで自分のやってきた経験とか、物を言ったり考えたりしてきたことは、表面的で浅い事しか言っていなかったんだなあと考えるようになって、「失敗学」を契機にして自分のものの見方がガラッと変わってしまった。