藪光生(全国和菓子協会専務理事) ・〔わたし終いの極意〕 和菓子で心の栄養を
藪さんは今年80歳、もともとは建築業界で仕事をしていましたが、縁あって1978年に和菓子協会に入りました。 以来46年和菓子文化の継承と普及に取り組んでいます。 和菓子は心の栄養と説く藪さんに、お話を伺いました。
6月16日が和菓子の日となっています。 848年(承和15年)当時疫病が非常に流行って、その疫病を退散するために神前にお菓子などを供えて、疫病の退散を祈願するんです。 元号を嘉祥と改めて、仁明天皇が就任しました。 その故事に習って和菓子の日と決めました。 嘉祥の祝いは江戸時代に入って、徳川幕府が非常に大事にしたお祀りで、将軍家お目見え以上の士分には将軍が自らお菓子を差し上げるという事をやっていました。 それが段々民間の方に移って、銭16文で菓子を買って食べると健康に良いという縁起があるという事で、明治までは盛んな行事でした。 御維新で廃れてきて、1979年(昭和54年)に第一回として復活したというのが話の謂われです。
お菓子の本を見ると、果物がお菓子のルーツという事になっています。 私としては加工したものでないとお菓子とは言いにくいと思っています。 団子とか餅がルーツだと思います。 ドングリも食べたいがアクがつよくて食べられないが、つぶして水に浸すとアクが亡くなることを学習するわけです。 アクをぬいた粉を丸めて焼いたり煮たりしていた。 それが団子のルーツだと思います。 餅は日本最古の加工食品と言っていいと思います。 お餅にしておけば常温でずっともつ。 神前に供えていたが、これもお菓子のルーツだと思います。
羊羹(ようかん)、羊の肉の入ったお吸い物を羊羹と呼んでいました。 白魚が入っていれば白魚羹とかあり48羹有ったと言われています。 仏教伝来以来、牛肉、羊の肉は食べないので、羊の肉に似せて小麦とか小豆の粉を練ったものをいれて、模造品の羊羹を食べていました。 それが蒸し羊羹に変化し羊羹になります。 4代将軍家綱の頃に寒天が発明されます。 小麦粉の代わりに寒天を入れて蒸さずに練り上げて作る練り羊羹が出来ます。 和菓子は常に生活文化の中で変化してきています。 吊るし柿をうらごしてそれに寒天を加えてアンを加えて柿羊羹が出来ます。
日本人は入ってきたものを工夫してよりよいものにしてゆきます。 ポルトガルから伝わってきたカステラですが、カステラには膨張剤は使いません。 卵と小麦粉と砂糖だけでふわっとした感じにします。 伝来してきた当時はそんなお菓子ではなく硬いビスケットのようなものでした。 カステラを焼く時には泡切りと言って、泡を切るような操作をします。 そうしないと均一に気泡が浮かばない。 その操作を3回ぐらい繰り返します。 そんなことをやってお菓子を作っているのは世界中どこに行ってもありません。 常に手が加えられてよくなってきています。
私が働いていた建築会社が倒産して、得意先にしていたところで和菓子屋のビルがありました。 倒産と言う中で大変なんですが、ビルの竣工まで私が面倒を見ました。 それがご縁で和菓子の仕事をするようになりました。 或る時に柏餅を100個ぐらい買うことになり、中身を見ると硬さ、味などいろいろとあり、これは料理の世界と同じだと思いました。私は元々料理が好きだったので、和菓子の世界にすっと入っていけました。
和菓子の調査では年寄りは好むけれども若い世代は好まない傾向がありました。 スナック菓子は低年齢層は食べるが、高年齢層は食べない。 洋菓子は20,30代は食べるが子供、年寄りはあまり食べない。 これは大変だという事になりました。 同じ調査を27年後にやりましたが、全く同じ傾向でした。 加齢による嗜好の変化が起きているのではないかと思いました。
和菓子店によって、それぞれ個性があります。(手作りによる個性) 季節の移ろいと共に和菓子がある。 季節にならないと売られないものがある。(桜餅、柏餅など) 季節を表演するものがある。(2月は梅をかたどったお菓子、3月は桜と言う風に季節を表現する。) 季節を感ずることによって情感を感じる。 目でも楽しめることができる。 菓子は人なりと言う言葉が有りますが、作った人の心が見えるような気がします。
葛(くず)はいかにも冷やして召し上がって下さいと言う様な感じです。 でも冷やすと葛の澱粉は老化して硬くなります。 常温で、見た目で涼しげな感じを感じていただく。 江戸時代にはおはぎのことを「隣知らず」と言うんです。 おはぎのことを昔は「はぎの餅」と言っていて、餅と言うのにペッタンペッタンつかないから、隣の人は作っているかどうかわからないから「隣知らず」と言ったそうです。 おはぎのことを「北窓」、とも言いました。 北の窓には月が無い、突きがない。 「夜舟」とも言います。 夜は危ないので舟を着けない、突けないという事でそうも言われていました。
和菓子から一番学んだことは、興味を失わないという事です。 何故こうなったんだろうかとかいろいろ思います。 いくつになっても知らないことがあるので、それに興味を持つ事がもとになっています。 最中は、宮中で月見の宴をした時に出された、白い丸餅の菓子が、中秋の名月に似ていた。(「 水の面に 照る月なみを かぞふれば 今宵ぞ秋の 最中なりける 」) 江戸時代、その句に因んだ「最中の月」という菓子が誕生する。
60歳まで仕事人間でしたが、60歳以後は休日は妻のために使うという事を宣言しました。 以後20年間かたくなに守っています。 「今が一番しあわせですね。」と妻が言ってくれるので、こんな幸せなことはないと日々生きています。 学生時代からジャズボーカルで歌っていました。 67,8歳の頃に若者に説教する機会があり、人間はそれぞれ計り知れない能力を持っている。 しかし人間は怠けものが多い。 君たちは怠けてはいけない。 例えば僕が楽器はいじったことはないが、明日からドラムの練習をしたら、1年間したらプロと一緒にやってみると宣言したんです。 毎日必ず30分早く起きて1年間練習をしました。 以後ずっとドラムをやっています。 若い人には常に可能性に向き合って欲しいと思います。 ドラムは68歳からやっています。 新しいストレスを掛けると古いストレスは消えて行きます、それがストレス解消法です。 一生懸命やらないとストレスにはならない。(仕事も遊びも) 和菓子を通じて日本人の持っている生活文化のすばらしさみたいなものをわかって頂きたい。 わたし終いの極意とは、俳句もやっていて俳句に託して「余生とは何時からをいう蝉しぐれ」、余生はないかもしrない。