2024年6月6日木曜日

斎藤明美(文筆家)            ・高峰秀子が変えた私の人生

 斎藤明美(文筆家)            ・高峰秀子が変えた私の人生

斉藤明美さんは昭和31年高知県生まれ。 高校教師、テレビ番組の構成作家を経て週刊誌の記者を20年務めました。 2009年松山善三・高峰秀子夫妻の養女となり、お二人を看取りました。 今年は女優高峰秀子さんの生誕100年に当たり、様々な催しが開かれています。 

養女になった翌年2010年に高峰秀子さんが亡くなり、松山善三さんもその6年後に91歳で亡くなりました。 週刊文春の巻末に「私の大好物」というグラビアがあって、そこの取材をしたのが最初です。  大物ってこういう人だなと思いました。 人間の桁が違うという感じがしました。 高峰とは27回仕事で取材をしています。 気さくな一面もありました。  自分を作ってもおおきく見せようとしても全く無駄だとわかった瞬間に、自分のありのままで仕方ないんだと思いました。 世間の基準とか、他の人がそうだからとか、一切ないので、相談もしないし、自分で考えて決めるという感じです。 5歳の時からずっと働いているので、怖いというか隙が無いんです。 尺度を自分の中に持っている。

生誕100年、誕生日が3月27日です。 東京タワーで展覧会が行われました。 台所、映画のダイジェスト版などが展示されたりしました。 映画は生涯で319本だったと思います。 紹介できたのはほんの一部でした。

2009年松山善三・高峰秀子夫妻の養女となりました。  戸籍上の繋がりと言うだけで高峰は親戚に搾取されてきた人なので、松山と綺麗な戸籍になったところに、何故他人を入れるのかと言う不可解な事ですが、私の父が亡くなって1か月して言い出しました。   病院に行っても肉親ではないと病状が聞けないので、養女になってよかったと思います。  一を言えば百を知るような人だった、それでいて肝腎なことをひとことで答える、饒舌な人ではなく、寡黙なほうで面白いことを言う。 人に迷惑を掛けないように、煙の様になって消えて行きたいと、人に会う事が嫌いだったので、だから女優が嫌いでした。 私のことは忘れて欲しいという人でした。  生誕100年と言っていろんなことをしているのは、彼女は非常に不本意で本当にあの子は馬鹿です、そう思っていると思います。

人が潔くないのは欲しいものがあるからです。 お金、名誉、他人に好かれたい、綺麗だと思われたい、良い人だと思われたい。  だから普通の人は潔くない。 高峰は欲しいものが無いから。 人にどう思われたってかまわない。 だから高峰は非常にかっこよかった。 女優を辞めてからは、大きな家は必要が無いと言って家を壊して小さな家を建てて住みました。  50歳ぐらいから全部削ぎ落していきました。  70代の終わりになったら外に出るのも辞めて、本を読んだり食事を作る、という事に専念しました。 もともとそれを望んで居た人なので。  父ちゃんが居なかったら紙のコップとお皿で済ましていると思う、松山がいるから綺麗な焼き物のお皿に美しい料理を盛るが、一人だったらそんなことはしないと言っていました。 高峰は松山が大好きだったから。 誠実が洋服を着ているような人でそこが好きですと言っていました。 

5歳の時にデビューして母親役の人がご飯を食べに家によく連れて帰っていたそうで、30歳ぐらいの未婚の人で振袖に着替えお膳の前に座ると、お母さんが横でべったりとおさんどんからなにから世話をしていた。 それを見た5歳の高峰は、こんなことではこの人は駄目だなと思ったそうです。 吃驚して後からそう思ったのではないかといったら、「いいえはっきり覚えています」、と言いました。 人間が本来持っていたい資質、他人への思いやり、迷惑を掛けない、悪いことをしてはいけない、とか最低限度の人としての資質を高峰は全部持っていた人だと思います。  そばにいて気持ちが良かったし、言う事の筋が通っていた、楽しいし、美人でした。  彼女は自分では美人とは思っていなくて、自分を馬鹿だと思っていた、つまり学校に行っていなうから。 それが非常に哀れですよ。  毎日、本を読んでいて、どうしてそれほど読むのかを聞いたら、「劣等感ですね。」と言いました。

2010年87歳で亡くなりました。 すべてが終わったと思いました。  実の母が亡くなった時には高峰が助けてくれ、高峰が亡くなった時には松山がいてくれたことでちゃんとしなければいけないと思いました。  松山とその後6年暮らして、どうして高峰があれほど松山が好きだったのかという事がわかったような気がしました。 人を幸せな気持ちにしてくれる。 そばにいるだけで心が温かくなるような。  高峰はずっと戦って来た人だから、松山のなかに楽園を見たと思います。 一人の人間として非常に尊敬しているので、人に知って欲しい、特に若い人に知って欲しい。 高峰と松山には身に余るような幸せを貰ったと思っています。