高田都耶子(エッセイスト) ・父の教えを語り継ぐ
途中からの放送になっています。
立派な彫刻で苦行の釈迦像というのを、先日法要したけれどガラスケースに入っていて、ガラス越しの法要だったのを、次回来る時にはそのガラスを外してもらいたいと言ったら、わかったということで、数年後行ったた時にはガラスを外してくれていました。 父がなぜそんなに親切にしてくれるのかと、私は仏教徒であなたはイスラム教徒、で異教徒ではないかと言いました。 我々にとってメッカは特別な聖地であって、メッカに巡礼に行った時にメッカの人たちの親切にしてもらうととてもうれしい。 仏教徒のあなた方にとってこのガンダーラは我々のメッカではないでしょうかと、だからメッカで受けた温かさをあなた方に振り分けたいと思っています、とこういう答えだったそうです。 そういったことを父は本に書いています。
宗教の違いを越えて、相手のことを認める、違いをお互いが尊重する、という事が第一歩だと思います。
1990年2月 高田好胤さんは数えで66歳、その時の話からです。
「涅槃経の中にこういう言葉があることを申し上げておきます。 弟子たちよ、これまでお前たちのために説いた私の教えの要は心を納めることです。 欲を押さえて己に勝つ事に勤め、身を正しく、心を正しく、言葉を誠あるものにしなければならない。 貪ることを止め、怒りを無くし、悪を遠ざけ、常に無常を忘れてはならない。 お釈迦様が最後に仏になった教えは全てのものは移り変わってやみません、諸行は無常である。 だから怠ることなく精進、努力に励んでほしい。 諸行無常とは盛んなるものが衰える、これが諸行無常のみならず、今は衰える状態であっても一生懸命に努力すれば、諸行無常の世のなかであれば、ぐんぐん成長してゆく、これが諸行無常です。
生まれた赤ちゃんが歩き出して走り出して、成長してゆく、それも諸行無常です。 世の中は娘が嫁と花咲いて、かかとしぼんで婆と散り行く。 盛んに成長してゆくのも諸行無常、衰えてゆくのも諸行無常、含めて諸行無常です。 だから努力してくれよと、今成功しているから努力を怠れば、今の自分の成功を失う事になる。 すべてのことは移り変わってやまない。 一生懸命努力してくれ、怠る事のないように。 皆の衆や悲しんでくれることがないんだと、ここに四大仏跡、仏陀が私が悟りを開いたところ、私が初めて法を説いたところ、今私が涅槃に入るこのクシナガラ(佛陀の入滅の地)、そして私の生まれたカピラーバスウ、この4つの地に立ち、4つの場において、私を思い出してくれるその人の心の中に、私の教えはいついつまでも生き続けます。
これがお釈迦様の最後のお諭しであります。 それが私どもが仏跡巡拝にあがらしていただくことに繋がってまいります。 常に無常を忘れてはならない。 もし心が邪悪に惹かれ欲にとらわれようとするならば、これを教えねばなりません、押さえねばなりません。 足るを知る、これが涅槃の生活だと言われます。 心に従わず心の主となれ、心は人を仏にし、又畜生にする。 迷って鬼となり、悟って仏となる。 弟子たちよ、この教えの元に相和し、相敬い、これが和敬であります。 争いを起こすことなく、水と土の様に和合せよ、水と油の様にはじけ合わない。 この教えの様に行わないものは私に会っていながら、私に会わず、私と一緒にいながら遠く離れている人である。 この教えの通りを行うものは、たとえ私から遠くに離れていても私と共にある人でございます、とお釈迦様の教えでございます。」
父は求めれば求める程菩提への道は遠くなる、されどこの道を行くとか、永遠なるものを求めて永遠に努力する人を菩薩というとか、それはお頼まれして書いていましたが、自分への叱咤激励だったと思います。 父の法話というのは普遍的ですし、きっとどなたかのお役に立つであろうと、これは自信があります。 父や橋本 凝胤のことを語り継いでゆくことが私にできる事かなと思います。