2023年3月3日金曜日

山本學(俳優)             ・出会いの宝箱 朗読編

 山本學(俳優)             ・出会いの宝箱 朗読編

去年4月12日に放送した中原中也の詩   基本的には読むのが難しい。  今の人たちの話を聞いていると早口で、もっとゆっくりしゃべってもっと豊かにしゃべれないかなあと思います。  そんな中で詩というものは大事だと思います。  中原中也は波乱万丈で若くして亡くなります。  天才的なところがあって、でも生活感情の中での詩、言葉なんか作ってしまうんですね。  恋愛をして17歳で同棲しているんです。  恋人は割合男の人が多くて、親友の小林秀雄のところに走って中也は振られちゃいます。 又帰って来そうな時に「汚れつちまつた悲しみに」詠んでいると思います。 後でいろいろ悩んで推敲します。  

汚れつちまつた悲しみに」 朗読(山本學)

汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる

汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる

汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠のうちに死を夢む

汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……


「骨」は弟さんのための詩であったり、いろんなことが重なったものですが、中原家の墓が山口の川の河原の空き地に小さな墓があって、その情景が頭にあって詠んだ詩だろうというものです。

「骨」 朗読(山本學)

ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きていた時の苦労にみちた
あのけがらわしい肉を破って、
しらじらと雨に洗われ、
ヌックと出た、骨のさき

それは光沢もない、
ただいたずらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。

生きていた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐っていたこともある、
みつばのおしたしを食ったこともある、
と思えばなんとも可笑しい。

ホラホラ、これが僕の骨―― 
見ているのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残って、
また骨の処にやって来て、
見ているのかしら?

故郷の小川のへりに、
半ばはれた草に立って、
見ているのは、――僕?  
恰度立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがっている。

悲しいですよ、彼は悲しい事ばっかりですから。  悲しい自分を又えぐるように、そしてそれを嘲笑するようなところがある。  コンプレックスが強い人で、それでいながら自尊心が強くて付き合いにくい奴だったろうなあと思います。  

僕の家の応接間に石碑の拓本があって、中学生のころそれを何となく読んでいました。  難しい歌ですが、藤村と言えばこれを思い浮かべると思います。 「小諸なる古城のほとり」 父親がどこから入手した様です。 

小諸なる古城のほとり」 朗読(山本學)

小諸なる 古城のほとり
雲白く 遊子(ゆうし)悲しむ
緑なす 蘩蔞(はこべ)は萌えず
若草も 籍(し)くによしなし
しろがねの 衾(ふすま)の岡辺(おかべ)
日に溶けて 淡雪(あわゆき)流る

あたゝかき 光はあれど
野に満つる 香(かおり)も知らず
浅くのみ 春は霞(かす)みて
麦の色 わずかに青し
旅人の 群(むれ)はいくつか
畠中(はたなか)の 道を急ぎぬ

暮行けば 浅間も見えず
歌哀し(かなし) 佐久(さく)の草笛
千曲川(ちくまがわ) いざよう波の
岸近き 宿にのぼりつ
濁(にご)り酒 濁れる飲みて
草枕 しばし慰(なぐさ)む

昭和30年代俳優座養成時代、田中千禾夫さんという作家、演出家(『マリアの首』が代表作)で、その人の授業の時に千曲川のスケッチの例題が出ていてそれを読めと言われました。  「光岳寺の暮鐘が響き渡った。」  違うだろうと言われ、「まみむめも」がきちんとしゃべれなければ役者なんかできないと言われました。 何かというとこれを思いだします。

光岳寺の暮鐘が響き渡った  淺間も次第に暮れ、紫色に夕映えした山々は何時しか暗い鉛色と成つて、唯白い煙のみが暗紫色の空に望まれた。  急に野面がパッと明るくなったかと思うと、復た響き渡る鐘の音を聞いた。   私の側には、青々とした菜を負って帰ってゆく子供もあり、男とも女ともわからないようなのが足速に岡の道を下ってゆくもあり、そうかと思うと上着のまま細帯も締めないで、まるでまるで帯とけひろげのように見える荒くれた女が野獣の様に走って行くのもあった。 南の空には青光りのある星一つあらわれた。  少し離れて、又一つあらわれた。  この二つの星の姿が紫色な暮の空にちらちらと光を見せた。 西の空はと見ると、山の端は黄色に光り、急に焦茶色と変わり、沈んだ日の反射も最後の輝きを野面に投げた。働いている三人の女の頬冠り、こごめた腰、皆な一時に光った。  男の子の鼻の先まで光った。  最早稲田も灰色に包まれ、野も暗い灰色に包まれ、八幡の杜のこんもりとした欅の梢も暗い茶褐色に隠れてしまった。  町の彼方にはチラチラ燈火が点き始めた。  岡つづきの山の裾にも点いた。

形容詞が多く色彩豊か。  声を出して読むことを皆さんにお勧めしたいと思います。

去年11月22日に放送した宮沢賢治の「アメニモマケズ」  宮沢賢治は読む事の難しい詩が多いんです。   農民の生活に深く関わっていて、詩が読みにくいんです。  米作りには雨と風と太陽がすべてで、カタカナで手帳に書かれていて、一言一言をポキポキきっちり読むのかなあと思って読みました。

朗読:山本學

「雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ                                   ワタシハナリタイ」

いい詩だけれど凄く難しい。  彼は日蓮宗に帰依していましたから、利他、利他の精神、人のために何かやる、自分は恥を知れ、身を投げ出せといって、今とは全然違う。    どう表現すれば彼の気持ちが通じるのかなあと、取り組みたいと思っている役者です。

今年2月21日は高村光太郎の詩でした。  高村光太郎は本当によく勉強した人でした。   智恵が精神を病んで病院に入るが、レモンを持って行って、それを智恵子は食べて、その夜亡くなるんです。

高村光太郎の詩 「レモン哀歌」 朗読:山本學

んなにもあなたはレモンを待つてゐた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとつた一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱつとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉(のど)に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓(さんてん)でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まつた
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう

高村光太郎の詩 「荒涼たる帰宅」 朗読:山本學

あんなに帰りたがつてゐる自分の内へ

智恵子は死んでかへつて来た。

十月の深夜のがらんどうなアトリエの

小さな隅の埃(ほこり)を払つてきれいに浄め、

私は智恵子をそつと置く。

この一個の動かない人体の前に

私はいつまでも立ちつくす。

人は屏風(びようぶ)をさかさにする。

人は燭(しよく)をともし香をたく。

人は智恵子に化粧する。

さうして事がひとりでに運ぶ。

夜が明けたり日がくれたりして

そこら中がにぎやかになり、

家の中は花にうづまり、

何処(どこ)かの葬式のやうになり、

いつのまにか智恵子が居なくなる。

私は誰も居ない暗いアトリエにただ立つてゐる。

外は名月といふ月夜らしい。

詠み終わった後、その心情を思って泣きますね。

今日は中原中也の「サーカス」を朗読します。

うちには炉端があって、草野心平さんが突然中原中也を詠うよと言いました。  この人はいろんな人と付き合っていて高村光太郎、宮沢賢治などとも付き合っていました。

「サーカス」 中原中也  朗読:山本學

幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風(しっぷう)吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処(ここ)での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁(はり)
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(あたまさか)さに手を垂れて
  汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯(ひ)が
  安値(やす)いリボンと息を吐(は)き

観客様はみな鰯(いわし)
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

      屋外(やがい)は真ッ闇(くら) 闇の闇
      夜は劫々と更けまする
      落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
      ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

不思議な風景が浮かんできます。   中也の歌はどこか寂しいですね。