2023年3月13日月曜日

江戸家小猫(芸人)           ・〔師匠を語る〕 四代目江戸家猫八

 江戸家小猫(芸人)           ・〔師匠を語る〕  四代目江戸家猫八

師匠でもあり、父親でもある 四代目江戸家猫八さんについて伺いました。

まもなく五代目江戸屋猫八を襲名します。  父親でもある 四代目江戸家猫八さんは2016年3月21日に66歳で亡くなりました。  

四代目江戸家猫八さんはNHK「お笑い三人組」で人気を博した三代目江戸屋猫八さんの長男として1949年東京で生まれました。  初代江戸屋猫八さんとも、祖父と孫という関係です。   高校卒業後三代目に入門して江戸屋子猫を名乗った先代は、動物の物まねで知られただけではなく、テレビドラマやバラエティー番組の司会などでも活躍しました。  2004年には文化庁芸術賞優秀賞を受賞、2009年父親の跡を継いで 四代目江戸家猫八を襲名します。  国内だけではなく海外の鳥の鳴き声の研究を続けるなど、芸熱心で知られた方でしたが、2016年3月21日に進行性胃がんのため66歳で亡くなりました。

父は「他にやりたいことがあるならそっちの道に行くように」、とよく言っていました。   つがなくてもいいが、ウグイスだけは鳴いて欲しいと言っていました。  周りの方から「僕も大きくなったらお父さんの跡をつぐのよね。」と言われ続けて育ちましたので、何となく自分もいずれ跡を継ぐ、更に父の仕事舞台をみていると、割れんばかりの拍手、会場がどよめくような笑いが起きる、父は凄いことをしているという感覚もありましたので、憧れを含めて小さいころから気持ちは固まっていました。   

父の稽古は全く見ていないですね。  私も両親の前でとか、人前で練習することはないですね。  「自分で自分らしいネタを作りなさい」と、父から言われました。  ネタが通じるかどうかはお客様にしかわからない、舞台で学べという教えでした。   カラオケでいろいろな鳴き声を練習しました。    鶯が一番難しいです。  手をグーにして親指と小指を立てて、小指だけ関節のあるところを曲げるとカタカナのコの字型が出来る。 コの字の隙間を笛にしています。  小指を口にくわえて隙間だけから抜いて行くと、独特な大きな音が出る。  子供のころから真似たりしましたが、音が出ず、そのうちちょっとずつ土台が出来てきました。  ちゃんと練習し始めたのが高校に入って、自分の将来を意識し始めた時に一寸音が出るようになりました。   最終的には10吸い込んだ息が10音になる。  最終的には人前でやるのが一番高いハードルで、緊張すると口がこわばったり、小指の曲がり方がいつもとちょっと違うとか、くわえ方がちょっと違うと音が出なくなる。  

子供のころお風呂に入っている時に、私の指を父がくわえて音を出してくれことが、強烈なインパクトになりました。 自分の指でも音が出る、と思いました。  

高校3年の秋の時に、ネフローゼ症候群という腎臓の病気になり、ステロイドの薬の副作用で身体をいじめられて、延べ12年間、30歳ぐらいまで再発しやすい状態で無理が出来なくて、32歳の時に父が江戸屋猫八を襲名した年に、入門することが出来ました。    中学、高校時代は性格が真面目なもので、寄席の仕事が合わないのでないかという思いもありました。  病気になった時には跡は継げないかもしれないと思いました。           

「お金、生活を含めて俺が働ける以上は何も心配しなくていいから、闘病に向き合って頑張れ。」と、言ってくれたのが一番嬉しかったです。  凄く感謝しています。      父が秋に襲名しましたが、その年の春に山に行ってバードウオッチングをして、ウグイスの声を聞いてもらいました。   父がアドバイスをしてくれて、それ自分なりに理解してもう一度鳴いてみました。   すぐ理解したことに対して、これはものになりそうだと感じたそうです。  一緒に温泉に入りながら「舞台を一緒にやってみないか」と急に言ってくれました。   このことが背中を押してもらえました。

2009年父が江戸屋猫八を襲名。 襲名披露の公演の時に10か所ぐらい共演することができました。   コンプレックスと思っていた性格がお客さんから、面白いと言われ、舞台が楽しくなりました。    2011年江戸屋子猫を襲名。  父からは「楽屋に来た時に、どこにいたら邪魔にならないか、それだけ考えなさい」と言われました。  1年半後に或る日突然「ウンその動きでいい」と言われました。  舞台上での空気を察するときの感覚に非常によく似ているんです。  落語協会の理事の師匠方から、もうそろそろ子猫さん一人で高座を務めた方がいいのではないかと声が掛かりました。  父も凄く嬉しかったと思います。  

2016年3月21日に父は66歳で亡くなりました。   西表島のヤマネコマラソンというイベントがあり、父が長い20kmに挑戦するという事で練習に励んでいましたが、何となく細くなっていった感じがしました。  2016年正月に咳が続いていたので、病院で診てもらうことになり、そこで胃がんが見つかりました。   転移が見られるステージ4で、手術をしても助からないという事でした。  余命の宣告をされてしまいました。 父は、「抗癌剤などの治療はせずに仕事を全うしたい」と言いました。  共演という形で高座を務め、父は何かを伝えたい、私は何かを受け取ろうと、言う数回の舞台はいい勉強になりました。   

2023年3月21日江戸屋猫八を襲名することになりました。   「必ず周りの人が見ているよ。  何か大きな動きがある時は、周りの動きがあるから。」という師匠の教えがあって、ふっとそれが頭に浮かびました。  70歳まで猫八で居たかったと母に漏らしていたので、父には70歳まではいてもらおうと思いました。(2020年)  立て続けに大きな賞をもらったし、七回忌も近いし、そろそろ猫八を考えてもいいんじゃない、という声が周りから上がり始めました。  襲名はそういった流れでした。

四代目江戸家猫八への手紙

「・・・お父さんは子猫さんのことをよく褒めていたよ、という事を聞きました。・・・その優しさを親バカにしないためには、自分が努力をして褒めてくれた通りの良い芸をすればいい、試練を貰った気持ちで日々臨んできました。   まだまだ未熟、生涯未熟と思いますが、そのお陰で今の自分があります。 ・・・いよいよ五代目猫八を襲名することになりました。 ・・・ 父さんが大切にしていたことは全て受け取ったつもりです。・・・ 五代目猫八はなかなかいいねと、天国に届けられるよう頑張ります。」