水谷嘉弘(一般社団法人代表理事) ・「ビジネス発・アート着」の道を歩んで
水谷さんは1952年東京都生まれ、慶応大学、東京芸術大学にダブル在籍したという経歴の持ち主です。 慶応大学は卒業、東京芸術大学は中退という形で社会人生活をスタートさせています。 銀行員として27年、事業会社社員として13年、併せて40年間のビジネスマン生活を送り、リタイアした後は美術の世界に向かいました。 放送大学教養学部に編入学して卒業、更に国家資格の博物館学芸員の資格も取りました。 こうしたことを土台にして、戦前パリで活躍しながらも夭逝した画家、板倉鼎を検証する事業など、アートの分野でも活動しています。
板倉鼎はエコール・ド・パリの時代の洋画家なんです。 東京美術学校を出てすぐに新婚の奥さん須美子と二人でパリに留学して、東京美術学校で習った描き方を変えて、非常に明るい色調でモダンでおしゃれな絵を描いたんですが、病気にかかって28歳で亡くなってしまった。 3年余りの画業が残っている。(1920年代) 私は松戸市に住んでいますが、板倉鼎は松戸市の出身です。 遺族が板倉鼎の作品を沢山持っていて、松戸市の教育委員会に寄贈して、田中紀子?さんという方が学芸員をやっていて板倉の研究をしていて、新聞記事に出して、6年前に目黒区美術館で展覧会をやってそれを観に行って初めて知りました。 その2,3年後に「藤田、板倉展」が行われました。 藤田嗣治とはパリで板倉鼎は会っています。 一般社団法人「板倉鼎・須美子の画業を伝える会」というものを作りました。
慶応大学の1年生の時に東京芸術術大学にも芸術学科という勉強する科があることを知って、東京芸術術大学を受験しました。 慶応大学に5年、東京芸術術大学5年行きまいたが、そのうち4年がダブっていることでした。 協和銀行本店にって面接を受けて、入る事になりました。 先生と相談して中退という形になりました。
当時通産省で貿易研修センターという国際経済人を養成するところがあり、そこに約1年行きました。 短期留学があり、1984年ニューヨーク発令が最初で、シンガポール、香港、東京など5大センターを経験しました。 プラザ合意がありましたが、当時は日本の進出ラッシュ時代でした。 1987年10月にブラックマンデーがあり、株式が暴落しました。 アジア経済危機にも遭遇しました。 1987年7月2日にタイバーツが大きく下落して、それをトリガーいしてアジア経済危機が起きました。 1998年に日本に帰ってっ来て国際部長になり、西暦2000年問題があり、1999年12月31日に本店に幹部が泊まり込んで、シドニーが日付変更の最初で、私がシドニー支店の店長と衛星電話でつないで、生で中継をすることになりました。 結果は何も起こりませんでした。 協和銀行はあさひ銀行に変って、銀行にはバブルのころの不良債権がずーっと残っていて、不況が続いて業績が良くなかった。 オーバーバンキングの方針に則ったことをしていましたが、いろいろ大変でした。 銀行員として27年、事業会社社員として13年、併せて40年間のビジネスマン生活を送りました。 12年海外に駐在した経験があるので、満足感がありました。 銀行の国際部門がなくなったというようなことは達成感がなかった。
フィラデルフィアはシュール(「非日常的・超現実な表現や発想」のこと)の名作が沢山あり、好きになってしまいました。 版画のオークションに行って手に入れました。 2016年にフルリタイアして、 母校の戸山高校に授業を頼まれて講演を行いました。 好きな事とやりたい事二つをやってきた事、やりたい事はインターナショナルな仕事で、好きな事は美術です。 仕事は放電だったけれども、美術は充電になりました。 これが長く持ち続けられた要因だったと思います。
オンデマンドで単位が取れる放送大学に入りました。 芸大の成績証明を認定してもらって3年生に編入学し卒業できました。(人文学系) 博物館学芸員という資格があり、早稲田大学に1年間の学芸員講座があり、単位を取りました。 博物館実習が大変でした。 小さいころから美術は好きでした。 「近代日本洋画こぼれ話」という美術エッセーの本を書きました。 板倉鼎を検証するには同時代の日本、西洋の画家を調べなければいけないので、勉強になりました。
JSSC(日本サッカーサポーターズクラブ)の名刺もあります。 中学から社会人の時もサッカーでプレイしました。 JSSCはブラインドサッカーとかいろいろなサッカー団体に助成金を渡している団体です。 評議員をしています。 芸大サッカー部で私がキャプテンをやった前任者が工芸の室瀬和美さんで、蒔絵の重要無形文化財保持者(人間国宝)です。 後輩のキャプテンでは日本画家で筑波大学の副学長をやった太田圭さん、現在芸大の学長をやっている日比野克彦さんです。 人の縁を大事にしてきてよかったと思います。