2023年3月14日火曜日

土田雅人(日本ラグビー協会会長)    ・ラグビーW杯まで半年 日本代表の現在地

 土田雅人(日本ラグビー協会会長)    ・ラグビーW杯まで半年 日本代表の現在地

土田さんは秋田県出身の60歳。   高校でラグビーを始め、秋田工業高等学校から同志社大学に進み、ミスターラグビーと言われた平尾誠二さんらと大学選手権3連覇を成し遂げました。  その後社会人のサントリーに進み、監督として日本選手権に優勝を飾るなど、名将としても知られました。   現在はサントリーホールディングスの常務執行役員を務める一方で、日本ラグビー協会では理事を経て去年6月に会長に就任し、日本ラグビー界のかじ取りを任されました。  会長としての思いや、ワールドカップを前に現在の日本代表の戦力について、それに高校時代からお互いを高め合い、7年前に亡くなった親友平尾誠二さんへの思いを伺いました。

2019年の世界大会は盛り上がりました。  日本のおもてなしが素晴らしかったという事と、日本がベスト8になったことは皆さんから言われることです。  今まではラグビー協会の会長は森総理とか、各企業の社長とかで、70代ぐらいが多かったですが、59歳で話があった時には仕事と両立だったので、迷いましたが、もう一回ワールドカップを持ってきたいという思いが協会内にありましたので、実現するために引き受けました。  忙しいですが楽しくやっています。   2015年には理事をやりましたが、平尾がやるので一緒にやってくれと言われて、その時にはサントリーフーズの社長をやっていたので、無理ですと言ったんですが、平尾が支えて欲しいという事もありやることになりました。

平尾は2016年に亡くなりました。 2015年のワールドカップで病気が発症して、彼と共に、病気とたったかったような形になりました。  彼の思いを実現してゆくことが私の仕事の一つかなと思っています。  3つ思いがあって、①もう一回ワールドカップを日本に持ってくる。 ②ベスト4,優勝を目指す。(現在世界10位)   ③育成(高校では少ない)   この3つを実現したいと思っています。  

今年9月からフランスでワールドカップが始まる。  いいチームになって来ました。   フランス、イングランドの強いチームと戦って負けはしましたが、良い戦いはしました。 スクラムとか、ラインアウトとかセットペースが安定すれば、力を出し切れればいい試合が出来ると思います。   セットプレイからのサインプレイだとかトニー・ブラウンコーチがいろいろ作戦を練ったり、スクラムとか、ラインアウトとか、キックオフなどが安定すれば本当にいいゲームができます。   スクラムとか、ラインアウトとかで負けると点差が開けられてしまうので、ジェイミー・ジョセフ監督もチームスタッフも判っているので、如何に9月の試合までに仕上げてゆくのか、という事だと思います。  

2015年、2019年に比べて新しい選手も出てきて、ベテランの選手と混ざり合ったいいチームと期待しています。   今回はチリ、イングランド、サモア、アルゼンチンと予選で戦ってゆく。  イングランド、アルゼンチンは安定したチームです。 チリ、サモアも力を入れていて、どの試合も難しいと思っていますが、初戦のチリとの試合で乗って行けるかどうか、ポイントになると思います。  どのチームも力は接近してきています。   イングランドは層の厚さとか世界一、二位といったところだと思います。   イングランド戦でスクラムが止まったらおかしいぞと思って、又セットプレイが崩れなければ互角に戦えると思っています。   アルゼンチンはヨーロッパで戦っている選手が多いです。  フォワードは力があります。リズムを崩しながらやればしっかり戦えると思います。     

スケジュールは1週間ずつあいて、休息は取れると思います。   2019年の日本でのワールドカップが決まって、その後強いチームと試合が出来るようになって、これが財産だと思います。  フランスとは去年3試合をすることが出来ました。  マコーミック

1998年には、マコーミック外国人初の日本代表主将に選ばれ、ミーティングですべて日本語で日本人以上に日本語を使いながら「もっと強くなれ、もっとこういう風にしよう」言うんです。  彼らは日本代表になりたくて、日本に来て国にも帰らず、決められたルールのなかで、頑張って来ました。  ラグビーはグローバル化の先端を行っていると思います。 チームバランスはいいと思います。  

2019年に世界中のラグビーのメンバー、ファンの人が来て日本の良さが判って来て、家族が判って来て、日本に来たいという選手が増えてきました。  リーグ1を作ってレベルも高くなりました。   リーチマイケルの様に高校から日本に来てプレイする、フィージー、トンガ、サモア、ニュージーランドとかの親が日本に行けという事で、好循環が回っている。

中学では野球をやっていましたが、スポーツで日本一に成れるものはないかと思った時に、能代工業高校のバスケットか、秋田工業高校のラグビーが日本一をとっていました。   秋田工業高校へ行くことにしました。    花園で準々決勝で平尾選手と当たり凄いプレイヤーだと思いました。   常に立体的に冷静に見る選手でした。  平尾と共に同志社大学に行くことになりました。   たまたま彼の息子と娘はサントリーに入りました。  神戸製鋼(平尾)とサントリー(土田)との決勝の試合がありましたが、キャプテン同士でメンバーどうするという話をしたこともあります。 (神戸製鋼2連覇の時)  現役時代は神戸製鋼には勝てませんでしたが、神戸製鋼が8連覇なるかどうかの時に、サントリーの監督として対戦して勝つことが出来ました。(平尾は現役でした。)  

平尾とはラグビー、仕事などを通して長く付き合ってきましたが、癌が見つかり余命3か月と言われてしまいました。  彼とはなんでも相談し合ってきました。  彼が元気であれば彼が会長をやって僕が支えていたんだろうなと思います。  2016年10月20日に亡くなりました。  

ラグビーでいろいろな国に行けたし、いろいろな人々にも会えたし、平尾にも会えたし、そういう意味では恩返しとして会長になりました。  協会のメンバーには優勝を目指すんだから日本一の協会に成ろうと、職員に話しています。  世界一の協会になって世界一のチームを作っても一度ワールドカップを迎えてみたいです。  2031年はアメリカが決まっている。  今後は私の努力だと思っているので頑張ります。