2023年3月30日木曜日

鬼嶋正之(加治川を愛する会会長)    ・世界一の桜を再び

鬼嶋正之(加治川を愛する会会長)    ・世界一の桜を再び 

新潟県新発田市を流れる加治川沿いにはかつて6000本の桜が連なり世界一とも評されました。   しかし太平洋戦争や、度重なる水害を経て桜の木が激減し、景色が一変しました。 その後桜並木を取り戻したいという機運が高まり、当時合併前の紫雲寺町の町長だった鬼嶋さんは桜並木の復元活動を始めました。   一方で新発田市出身の作詞家たかたかしさんらが「加治川を愛する会」を立ち上げ、毎年桜の植樹を続けてきました。   現在会員は250名ほどで、今年25年目を迎えました。   故郷が誇る桜並木を次世代につなげようと取り組む鬼嶋さんに伺いました。

最初行政が加治川の沿岸の新発田、紫雲寺加治川などの市町村が提唱して、提桜復元促進協議会を作ってスタートしました。  他にもいろんなかたがたの思いがあり、今日に至っています。    昔は堤の上に植えることが許されていましたが、水害後堤を補強するなかで植えることが許されて、今植え始めて2130本ぐらいまで来ました。    雪をかぶった山脈が見え、菜の花も見えてコントラストがきれいです。   まさに絶景です。   4月の中旬ぐらいが見頃です。   

明治43年に日本海へ直接水を流すという大工事が認められて大正3年に完成しました。(110年ぐらい前)  それに併せて桜の木を植えようという運動が広がって、可成り短時間に6000本が植えられました。   東洋一、世界一と称されるようになり自慢の種だったと思います。   当時は大変な賑わいでした。  昭和19年ぐらいには物資がなくなって、ご飯を炊く燃料にも事欠く、農作業の杭が確保できないとかあり、桜を切ってその材料にしようという議論が起こったようです。   中心部は切らないで、上流、下流は1本ずつ間を開けて切ることになりました。   1500本切ったと記録されています。

昭和41年、42年続けて堤が壊れて、両岸に大変な水害が起きました。   川幅を広げる、河床を深くする、上流にダムを作るなどの治水対策をすることになり、今まで堤にあった桜を全部(4500本)切るという事になって、昭和46年工事に関わった人たちは涙を流しながら切ったという事です。  


何とか復元したいという思いが募っていました。  加治川の災害は人災であったと国、県が訴えられました。    加治川にもう一度桜並木を作るという事に対しては県や、国も気持ち的にはOKを出したいという気持ちはあったと思いますが。又訴えられたりしたら大変だという思いもあり、どういった形での許可となるか、模索の期間だったのかもしれません。  潤い、安らぎといった価値観も大事にしなければ、といった世の中の空気の変化も幸いして、水と親しむ、といった雰囲気などが国、県の背中を押したという事があったと思います。 4つの市町村が要請活動をして、堤を補強してそこに植えなさいという事で許可されました。  民間サイドからの働き掛けもあり今日に至りました。   2130本まで来ましたが、河川管理方針に従ってやっていこうとすると、容易でないところがあります。 今の経済情勢等々あって頭打ちになってきています。  副提が作りにくい状況下になっています。   

「日本桜の会」というのがあって、当時、美智子皇太子妃が名誉総裁をお勤めでした。  申請していましたが、昭和59年に1000本寄付しますという連絡を受け大変嬉しく思いました。  それがきっかけになりました。   加治川提桜復元促進協議会を作って新発田市長が会長で私が副会長でやってきました。  関心を持ち始めた方々がいて、「加治川を愛する会」の提唱者のたかたかし先生も加わりました。  子供達を巻き込んだ展開が心強かったです。  年ごとに順番に学校からバスで迎えて、堤を歩いて、植樹をするという地道に行ってきました。 会長を引き受けて今日に至っています。  肥料を上げたり、草刈り、害虫対策とか、子供達への思いという事で、子供達の心のなかに桜を植えようとか、役割分担をしながら活動しています。   

会の幹事でもある足立勝則?さんが写真を撮っていて、中学校の全卒業生に故郷を離れても桜を忘れないで、活躍してほしいという事で、先生、親に感謝の気持ちを伝えて欲しいという事で絵葉書を送らせてもらっています。   イベントも行っており、今年は4月5日から16日まで「加治川桜祭り」を行います。  16日には桜堤ウオークを自由参加で実施します。   「クリーン&ウオーク」という事でゴミを拾う運動と兼ねてやった時代もありましたが、そのお陰で川沿いがきれいになりました。   思い持ち続けるという事が大事だと思います。   故郷を自慢できる、そういう環境を充実させて、誇りにしてもらえればいいなあと思います。