2023年3月4日土曜日

古部真由美(避難者支援 まるっと西日本代表)・〔人ありて、街は生き〕 東日本大震災 県外避難支援者の12年

 古部真由美(避難者支援 まるっと西日本代表)・〔人ありて、街は生き〕 東日本大震災 県外避難支援者の12年

2011年3月11日の東日本大震災の後、福島の第一原発の事故が発生します。  茨城県に住んでいた古部さんは夫を残し、当時小学校1年生だった娘さんと一緒に実家のある大阪府に移って来ました。   県外避難、広域避難と言われる一人でしたが、大阪で2011年11月に支援グループまるっと西日本を立ち上げ、避難者向けのメールニュースや情報誌を発行し始めました。 その後2017年からは相談支援事業にも関わり、更に2019年には兵庫県立大学の大学院減災復興政策研究科に入って、修士論文をこのほどまとめました。   県外避難支援を続けてきたグループまるっと西日本の代表古部真由美さん(50歳)に12年に渡る広域避難を見つめてきて、何が判ったのか、現在大学院で学びながら災害列島の日本にとって必要な避難者支援はどんなものがあるのか、伺いました。

関西で非難した人たちや支援者と出会いました。  何かボランティアをしたいと思っていたのでその出会いがきっかけになりました。   2011年11月に支援グループまるっと西日本を立ち上げました。   最初は電話相談を行いました。  避難者向けのメールニュースを行いました。    メールニュースの登録者がだんだん増えて行って、一番多い時は800件以上ありました。     福島県、宮城県などは情報は被災自治体では知らないので、小さな支援団体が関西に沢山あるので、それを伝えることで関西の人たちのサポートが被災された方がたに届けばいいなと思いました。    2012年からはモノクロの情報誌を発行し2014年からはフルカラーで発行しました。    発行理由は高齢者はメール登録しにくい、広域に情報を配りたいという事でした。  コストがかかるので企業の助成金の中で情報誌の印刷代など頂きました。    災害が発生した時にたくさんの支援策が生まれますが、支援、政策についても、もっと皆さんが利用するためには、判りやすく繰り返し伝達する必要があります。   宮城県、福島県で発行される地元の新聞もずーっと10年間ぐらい読み込んできました。(インターネットで)  

短大卒業後にデザイン、印刷会社に勤務、その後建設施工会社に転職し、事務職をしました。   建設施工会社に勤務するころ阪神淡路大震災を経験しました。   宝塚、神戸市の営業所、工場などは被災された方たちの避難所になりました。  夫が研究職で茨城県のつくば市に移り、その後東日本大震災にあいました。   電気、水道、ガスが止まったり壁が壊れたりしました。   近所の人たちは知縁、血縁を頼って非難し、私たちも非難しました。   大阪府内の実家の近所に入りました。   原発事故により一時的な非難から状況が変わってきてしまいました 。   住んでいた市町村界隈では野菜の出荷停止、水道水の飲料制限もありました。    被害の判断がしにくい状況でした。  余震もまだありました。   

2011年から2012年6月には7万2000人の人が県外避難していると発表されています。   2017年から相談支援事業を始めました。  不眠を訴える人、被災した人が抱える悩みがみんなで言い合える内容だけではなくて、誰にも言えないような相談が沢山ありました。   被災者交流会の中では吐き出しにくい状況でした。  そういった拠点を作りました。  2019年に大学で広域非難を勉強していきたいと思いました。     兵庫県立大学の大学院減災復興政策研究科に入りました。   避難することによる後ろめたさでストレスを感じてしまうなどの事例があり、私自身どうしたらいいのか考え、勉強しようと思いました。   どんな支援の在り方がいいのか、大学院では研究していきたいと思いました。   

阪神淡路大震災、三宅島噴火災害、熊本地震、鬼怒川決壊などでも県外に避難している人がいます。   阪神淡路大震災では避難先に7割が定住したことが報告されています。  定住の理由としては教育、仕事をあげています。   海外でも同様にやむを得ない移動があり、いろいろな再建があることを知りました。   南海トラフ大地震、首都直下型大地震が想定される中、広域避難研究をしておくことで、しっかりとした仕組み作りを考えたいなあというのが大学院での私の使命だと思っています。  いろんなパターンがあることに対して支援しなければいけない。   

災害ケースマネージメント、アメリカでの台風の災害がもとでケースマネージメントプログラムが作られました。  日本でも災害支援者の育成をしようという動きがあります。  緊急支援者が去った後のいろいろな問題の支援の担い手が必要だと言われて居ます。   大学院には社会人学生が沢山いまして、現役の教職の方、行政職員、福祉、医療関係者などがいて支援に同級生を巻き込むことが良くあります。   強力な丁寧なサポートになります。