土井美加(役者) ・〔時代を創った声〕
土井さんはアニメ「超時空要塞マクロス」のヒロインの早瀬未沙役、「タイムボカン」シリーズのヤットデタマンのカレン姫役、多くの吹き替えで活躍してきました。
仙台の出身、小さいころは何かになりきる「なりきりっ子」だったような気がします。 最初の演劇体験は、3歳の時に1年だけ東京に住んで、歌舞伎座をみて大はしゃぎして、1階席の通路を走り回ったことでした。 日比谷の映画街で「河は呼んでいる」という洋画を見た記憶があります。 後日大人になってテレビでその映画を観る機会があり、私が思っていた映像が出てきました。 4~6歳ごろにそういった感動になりきる子になって行きました。 本を読むのは大好きでした。 小学校低学年のころでしたか、「世界少年少女名作全集」51巻 父が買ってくれてそれも読んでいました。 その中の「十五少年漂流記」を生まれて初めて寝ないで徹夜して読んだ本でした。 小学から中学にかけてはちばてつや先生の「ハリスの旋風」の放送時間と塾が重なっていて行きたくなかった記憶があります。 そこに出てくる石田国松が私の理想の人でした。
ミッション系の女子校に通い、当初はバレー部に所属するも1年で退部、2年生から演劇部に入ります。 中学2年生の時、文化祭で『アンネの日記』の主役を演じることになりました。 学校の礼拝堂での上演後、アメリカ人の宣教師の先生から手を握られ、泣きながら感動を伝えられ、芝居をすることの楽しさを知りました。 高校では演劇部は人数が少なく、修学旅行に行かずに演劇をやるという事で4人に減ってしまいました。 高校卒業後、横浜市内にあるミッション系の女子短大に進学する。 文学座に憧れ受けてみようと思ったら、受かってしまいました。 養成所からの1年後の選考では落ちてしまう。 現代演劇協会の附属劇団の一つであった「雲」にいた友人にも勧められ、後身の「昴」を受験する。 憧れていたシェークスピアの演劇を何本もやることになりました。
1979年にテレビドラマ 『がんばれ!ベアーズ』のアマンダ役に選ばれる。 凄く緊張しました。 声の仕事も難しいが遣り甲斐のある仕事だと思いました。 そうこうしているうちにアニメのオーディションを受けさせていただいて、アニメの世界を知ることになります。 1981年の作品、ヤットデタマンのカレン姫役をやることになりました。 吹き替えとアニメの違いをつくづく感じました。 ゼロから自分の発想でしゃべらなければいけなかたと思いました。 1982年には『超時空要塞マクロス』のヒロイン・早瀬未沙役を担当し、大人気となりました。 去年40周年を迎えました。 劇団にいたらできないこと、歌を歌ったり、レコーディングをしたりすることが出来ました。
吹き替え、アニメなどの仕事と並行して「昴」の舞台も行っていました。 『ハムレット』のオフィーリア役、『夏の夜の夢』にハーミア役で出演したりしました。 声の仕事と舞台が同時進行の様に始まってしまって、舞台上の距離感は声の仕事で教わりました。 周りから変わったねと言われた時がありましたが、本当に集中するとどっか抜ける、自由になれる、舞台で二度ほどありましたが、凄く楽しくなっちゃうんです。 そういった瞬間が突然来るんです。
「昴」から独立します。 マルセ太郎さんと二人きりでしゃべった時に「君は下手だ。」とはっきり言われてしまいました。 3週間みっちりやるからと言われましたが、癌を患っていて亡くなってしまいました。 「君はへたくそだから、まだ間に合うよ。」と言われて、技術を身に付けたらそれで何をやるのか、考えなさいと言われました。 自分のスケジュールを自分で決めたいと思って、「昴」を辞めてしまいました。
自分が生きてきたなかで、これを見てもらいたい、聞いてもらいたいという事を少しだけ今やれるようになってはいます。
若い声優に対して、今の人は皆さん上手で、それプラス何がいるかなというと、そのことを通し自分がお客さんに何が言いたいのか、どんな時間を過ごしてもらいたいと思っているのかとか、そういったことをしっかり持った方がいいと思います。