桂幸丸(落語家) ・落語で福島の偉人を語る
桂幸丸さんは1954年福島県生まれ、大学在学中の1974年6月、四代目桂米丸に入門。 若手時代は落語のみならずラジオ、テレビでリポーター、司会者、俳優として活躍してきまいた。 そんな幸丸さんが2000年代の頭から取り組み始めたのが、幸丸流落語偉人伝というシリーズです。 野口英世、新島八重など福島県出身の偉人たちを取り上げて、その偉業や人となり、故郷とのかかわりを落語作品にまとめた笑いと涙の物語、今や福島県のみならず日本各地、そして国際線の機内放送などを通じて世界でも聞かれるようになりました。 今回は幸丸流落語偉人伝や福島勉落語が生まれたいきさつや、演じ先で出会った人々の反応、等季語を通じて垣間見えた福島の人々の心息などをお話しいただきました。
二つ目になった途端に仕事が増えて、テレビ、ラジオで週8本やっていました。 ですから落語の勉強はしませんでしたね。 番組がなくなって行き2つぐらいあったが、これがなくなったらどうするのかと思いました。 そんな時平成2年に女の子の3つ児が生まれて、家のローンもあるし、さあ落語をやらなければと思いました。 落語家生活20周年の時に第1回目の独演会をやりました。 ここで69回目になりました。 最初年に一回だったんですが最近は年に3回やっています。 30周年の記念の時に野口英世伝をやろうと思いました。 苦労して作って記念の会の1週間前にやったんですが、しゃべっているうちに何だかわからなくなっちゃいました。 中身が難しくて。 1/3ぐらいのところで時間がきちゃいました。 詰め込み過ぎました。 1週間で25分ぐらいに短くして30周年で演じたら、お客さんが面白かったよと言ってくれました。
野口英世は借金と女性が好きだったという事があり、バランスよく入れるようにしています。 柔らかい笑いで包めればいいなあと、いつも根本にあるんです。 母親の「野口シカ物語」も作ったんですが「のろしか物語」をやるんですかと、言われ受けましたね。 野口の口を片仮名の「ロ」と違えたんですね。 「新島八重伝」も自分でやっていて楽しいですね。 野口英世は40数冊読みました。 新島八重は資料が少なく17,8分に仕上げましたが、何故自分が気が楽に出来るのか不思議ですね。 他に瓜生 岩子、円谷幸吉。 信念を曲げず真っすぐ生きた、そういったところは見習わなくてはいけないなと思います。 私は須賀川市生まれですが、円谷幸吉選手は同市の出身ですが、後藤新平も須賀川の医学校に通っていて、伝説の残っている人でこの人も作りました。 円谷幸吉物語は或るお寺でやって大反響でした。
コロナ過では活動が停止して大変でしたが、妻、お客さんに支えられました。 福島の方言を面白おかしくネタにしたら受けるのではないかと作りました。(22,3分のもの) つくったらバカ受けでした。 東日本大震災の時には流石に出来ないと思っていたら、気分を明るくしたいのでやってほしいとの要望があり、6月にやりましたが、それまでより多く入りました。 落語の強さは座布団一つあればできる事ですかね。 一人でやるので失敗しても成功しても自己責任です。 偉人伝を作っていて判りましたが、努力と結果はイコールじゃないんですね。
古典が好きで入り込んだので、古典も頑張りたいと思います。 古典で好きなのは「子別れ」ですね。 「紺屋高尾」、「妾馬」など、かっちりした人情話が好きです。 或る時桂米丸の話を聞いて、180度変わって桂米丸の弟子になっちゃったんです。 落語は笑わせようとするとつい声を上げるが、そうではなくて引きの芸なんですね。 今後も古典と新作落語を頑張ってやっていきたいと思います。