吉田紗栄子(一級建築士) ・〔わたし終いの極意〕 人生100年時代 "自立期"にしておくこと
吉田さんは現在79歳、半世紀以上に渡って高齢者や障害がある人たちが暮らしやすい建築やイノベーション(革新的なモノ・サービス・システム・ビジネスモデル・組織などによって、従来の常識が覆されるような新たな価値を生み出し、社会全体に大きな革新や変革をもたらすこと)に取り組んできました。 個人の住宅から福祉施設まで手掛けた数は100を越えます。 そのきっかけは1964年の東京オリンピック、パラリンピックに通訳として参加したことだと言います。 人生100年時代、住まいも終いも、元気で自立しているうちに準備をすべきだと吉田さんは言います。 どんなことから始まればいいのでしょうか。
高齢者や障害がある人たちに特化した建築という意味ではなく、高齢者や障害がある人たちに歩み寄って、その方が出来る限り自立する工夫をやっています。 ケアリングデザインと呼んでいますが、美しさ、居心地の良さと機能性です。 バリアフリーは手すり、段差解消とかになってしまいますが、もともとはどういう障害があっても暮らしの場を作ってゆくという大きな概念でしたが、いつの間にか狭まってきてしまいました。 ストレスフリーと呼んでいますが、小さなストレスでも一つ一つ解消してゆくのが、居心地の良さに繋がってゆくのではないかと考えています。 バリアーフリーからストレスフリーへと、と言っています。
東京オリンピックでは通訳を募集して、試験を受けて受かりました。 私は会場係として駒澤の競技場に関わりました。 パラリンピックもあり私たちは赤十字の語学奉仕団体の募集であって、英語と、障害に関する知識などの研修がありました。 当時20歳でした。(大学3年生) オリンピックの選手とはかかわりはありませんでした。 パラリンピックでは通訳というよりはお世話係というようなイメージでした。 私はイタリア語もできたのでイタリアの選手団に対して配属されました。 自衛隊の方がきて、階段をスロープにするとか、トイレの扉をとってカーテンにするとか、手すりを付けるとか、徹夜で作業していました。 その作業を見ていて、障害のある方に対してはこういうことを考えなければいけないのかと思いました。 別にテーマがあったんですが、変えて、卒業論文は「車椅子のための住宅」という事で、書きました。
障害がある、高齢というのは条件の一つに過ぎないと思っています。 小学校5,6年生からこの大学に行きたいという思いはありましたが、はっきりとは高校3年生の時に父の勤務地のイタリアに行った時の1000年も昔に作ったローマ水道橋が今でも使われているのを見て、やっぱり建築って凄いと思って、建築の道を進もうと思いました。
東京オリンピックの時の人から10年後ぐらいに、パラリンピックの選手の方から設計依頼がありました。 15 坪という制限があり大変苦労しました。 それに入る車椅子の住宅というのがどうしてもうまくいきませんでした。 その人の家を新築3回、リフォーム2回行いました。 条件が車椅子で何でもできるという事でした。 ポジティブな感情を住まいで持てれば、健康にも凄く繋がってくるわけです。
65歳前にはこれから自分がどういう暮らしをしていきたいか、真剣に考えてゆくべきだと思っています。 リフォームも70,80歳になってしまうとなかなか難しい。 家は何といっても安全、安心が大事です。 階段は危険なところなのでちょっとした工夫とかで安全な方向に変えられます。 リフォームの一番のポイントは昼間の生活と夜寝るところと、水回り(風呂、トイレなど)が同じフロアーにあるという事が凄く大事です。 家具のレイアウトも考えた方がいいです。 ドアーから引き戸にすることでも安全性が確保できます。 建物を違うところに立てるのも、地域が便利であるかどうか、坂、階段があるかどうか、歳を取ってからでは厳しい。 買い物などを含め、立地条件をちゃんと考えるべきです。
75歳になって考えたことは、85歳までは今の生活を続けられるようにしたいと思っていますが、どうなるかわからないので、2種類考えておかなければいけないんじゃないかと思っています。 85歳とか元気なうちに逝かれるのか、90,100歳まで生きられるのか、自分の家に住み続けるならば、リフォームして快適に過ごそうとするのか、施設に入るようにするのか、80歳になって考えるのではちょっと遅いと思います。 自立期にいろいろ考えておかないと、結局誰かに迷惑をかけることになるので、高齢になると基地は自宅なので、そこが大事です。
パラリンピックを創設したグッドマン博士が若い障害のある方たちに向かって言った言葉が、「失ったものを数えるんじゃない、残されたものを最大限に生かせ」と言っています。高齢になると、体力的にも失うし、いろいろなくなる方を考えがちですが、残されたものも沢山ある筈で、そういったものをできる限り生かして、人生50年から100年の時代になって、残された時間をどうやって楽しくしてゆくのか、この言葉に問われていると思います。 この言葉こそ今生きているのかなと思います。 東京オリンピックの語学奉仕団のリーダーだった橋本裕子さんが「奉仕は人生の家賃である」と言って、自分が持っているものを家賃として社会に還元してゆくという考えは、今こそ大事なんではないかと思います。