花柳寿楽(日本舞踊家) ・〔にっぽんの音〕
案内役 能楽師狂言方 大藏基誠
1967年東京都生まれ、祖父は2代目花柳壽楽、父は二代目花柳錦之輔。 日本舞踊家の家に生まれる。 幼少期より祖父の手ほどきを受ける。 大学卒業後3代目花柳錦之輔を襲名し、本格的に日本舞踊家の道を歩み始める。 2009年に三代目花柳寿楽を襲名、舞踊家としての活動のほかにも、歌舞伎公演、宝塚歌劇団、NHK大河ドラマ「どうする家康」、「大奥」などの振り付け、所作指導にも携わっている。
日本舞踊とは一言で言うのは難しいが、言葉としては新しいものです。 舞いと踊りがあり、能舞いとは言うが能踊りとは言わない。 舞いは水平運動、踊りは縦運動が合わさったものが舞踊で水平、らせん運動もあるし、上下の運動があるのが舞踊という形で、それに日本独特にのこっているものが日本舞踊です。 歌舞伎が或る程度進んでいった時に、歌舞伎の中のエッセンスなり技術みたいなものを、少し踊りだけの要素を取り出して、そこから派生していったもの全体を日本舞踊という形なのかな。
能の舞の部分だけ取り出したのを「仕舞」、狂言の舞の部分だけ取り出したものを「小舞」と言います。 歌舞伎の踊りの部分だけを取り出したのが「日本舞踊」という風なのが近いと思います。 日本舞踊は歌舞伎舞踊と言われている。 かつらをかぶり衣装を着けての踊りは歌舞伎舞踊(日本舞踊に含まれるが)、紋付袴で踊るもの(衣装は付けない)シンプルなものを素踊りといって、そういったものを多くやっているのが日本舞踊。 日本舞踊は多様性が強くて、クラシックの曲で踊ることもやります。
*清元の「保名(やすな)」という曲 「安部保名」という人が恋人の死を悲しんで狂乱してしまう。 亡き恋人の小袖を持って登場し、それに語りかけたり、子供のように蝶を追ったりする描写がある。 「安部保名」は、陰陽師と指定有名な安倍晴明の、伝説上の父とされる人物。 30代に一度衣装を着けて踊って50代でも一度やってみたいと思って去年素踊りを行いました。
舞台は夢の空間、非現実の空間であっていいと思います。 日本舞踊はのその中に浸ってもらう、そしてなんでもいいんですが、何かを感じてろらう事が出来たらいいなあと思っています。 何かしら心が動いてもらいたい。 少しだけ勉強してもらうと日本舞踊は世界が広がっている、又女性が女性として踊る魅力、歌舞伎とは違う舞踊家の踊り方とかが見えたりすると日本舞踊はまだまだ可能性があると思います。
5歳が初舞台になっています。 4歳ぐらいから稽古をしました。 出だしは褒められましたが、初舞台の稽古の段になると厳しく稽古をさせられました。 大学卒業後3代目花柳錦之輔を襲名。(1990年 23歳) 21歳の時に父が亡くなり、錦之輔、の名前が空白になりました。 弟は花柳典幸です。 どこかで向かないのではないかという思いはありました。(18歳ごろから) 自分で工夫するという考えや愉しみはあんまりなくて、言われたことを一生懸命やる。 後から思うと、言われたことを一生懸命やるという事は、それ以上にはならない。 今の子育て問題にも通じるところはあると思います。 自分の父親の背中をどういう風に自分は見ていたのか、自分の息子がどういう風に自分の背中を見ているのか、背中すら見ていてくれていないのか、親父の背中ってどういうものか、響いた時がありました。
日本の音とは、太鼓です。 なんかワクワクする。
人が求めるものを選ぶべきなのか、自分がやりたいものをやるべきなのか、イメージを壊したいのが半分、イメージを守り続けたいのが半分というのが今の自分なんです。 経験しないとわからないこともあるので冒険してもいいのかなあとも思います。(若いころとは違う冒険)