柚木沙弥郎(染色家) ・100歳になるボクが伝えたいこと
型染めによる布の作品を作ってきた染色家柚木沙弥郎さんは、去年2021毎日デザイン賞を受賞するなど、100歳で現役バリバリのクリエーターです。 柚木さんは大正11年東京田端の画家の家に生まれました。 美術史を学ぶため東京大学文学部に入学します。 敗戦後日常の暮らしの中で使われる手仕事の品に美を見出した運動思想に啓発されて染色の道へ進みます。 東京女子美術大学も長年勤められ70歳を超えてからさらに自由な創作展開します。 去年4月に放送した当時99歳の柚木さんのインタビューを「明日へのことば」用に再編集したアンコール放送です。
【人生のみちしるべ】愉快に今を生きる(1)https://asuhenokotoba.blogspot.com/2018/04/blog-post_27.html 【人生のみちしるべ】愉快に今を生きる(2) https://asuhenokotoba.blogspot.com/2018/05/blog-post_25.html 参照。
僕も忙しいけれども世の中の変化も早いです。 肉体的にいろいろ故障が起こって来ます。 朝は思い浮かべるのに大事な時間です。 手紙なども朝書いた方がいいです。 2021毎日デザイン賞を受賞しましたが、吃驚しました。 コツコツやってきたのが認められたことは嬉しいです。 同じようなことをやっている人にも励みになると思います。 今の状態が悠々自適と言ったところです。 創作への力は気分ですね。 まず天気がいい事、いい話をしそうな人に会う事、美味しいものがあるとか。 なにかやっったという達成感。 今いいなという事を自分で考えだすんです。 自分が落ち込んでいる時に自分を奮い立たすことはどうやったらいいか。 誰にでもストレスはあるんです。 それをどういう風に自分の中で解消するか、という事です。 考えすぎても困るけど。 毎日毎日の暮らしをどうやって充実させるか、それが人生だと思います。 ぼーっと生きていると目標がない。 目標のない人は困る。 なんか目標をこしらえて、目標に向かって毎日考えを出して行く。
25歳で染色の道に入って間もなく75年。 毎日毎日忙しかった。 1950年から1970年あたりは一生懸命でした。 昼間は女子美術大学の先生をしていたので。
「柚木沙弥郎 life・LIFE」展が立川でありました。 life=暮らし LIFE=人生
暮らしと人生がテーマ、3万人以上が訪れる。 今回の展覧会が最高でした。 展示の布の一枚一枚が型染めで作られたもので、高い天井から吊り下げられて、森の様にならんでいて、下には白い玉砂利が敷かれて道が出来ていて、その道をたどりながら布の森を歩いて行く。 展覧会というよりは元気を出す装置みたいになってます。 展示会に関わったいろいろな人々がこの展示会のデザイナーと言った感じでした。 自分の持っている力と同時に布の持っている力、材料が半分以上、それに伴う技術その両方でもってああいう感じのものが出ます。 手仕事の良さですが、それが段々なくなって今はもう危ないところです。 僕自身はその最後のところにぶら下がっている。 職人気質と言うものが新しいものの中に伝わって行ってほしい。 どういうことかというと伝統、誠実、真似をしない、丁寧、そういうものがなくなってしまうと、つまらない。
人や自然やものの本質、その生き生きとしたものを掴んで表すのが模様であり美だと思いますが、今でも深く考えると判らない。 だからあまり考えないで、手を動かす方が先です。 自然に手を動かした時に形が出来る。 最近老化ですかね、身体と頭が違うという事が判りました。
絵本は暮らしの中の道具。 72歳ではじめてつくった絵本、「魔法のことば」 絵:柚木沙弥郎 訳:金関 寿夫 100歳で復刊、「子どもの宇宙国際図書賞」受賞。 教訓的な話は厭だった。 勝手に自由に考えられるような話だったら絵が描けると思いました。 どんなに科学が発達しても防ぐことができない天災って、今後だってありうるという事、そこまで込めて我々は生きている。 自分が生きている時間の中に、富士山が噴火するとか、いろいろなことが入っているかもしれない。 人生がそういう時に出っくわしているかもしれない。 運が悪ければ死んじゃうかもしれない。 どうにもならないことは人間が考えてもどうにもならない。 日本の中に生まれたこともどうにもならない。 悪い面も良い面も込めて自分の人生がそこにあるんだから、その人生を楽しむ。 楽しくないことがあるから、個人的には楽しみたい。 それにはどうしたらいいか、自分で考え自分で発見するより仕方がない。
戦後70年以上が経って、今私たちには自由がある。 その自由を手放してはいけないという覚悟を持ってほしい。 戦争が起こればそれがなくなります。(立川の展示会でのインタビューにて) 昭和15年ぐらいには戦争は始まっていた。 挙国一致というよなスローガンで、贅沢はしないというような締め付けが始まった。 僕の中学の時代にそういう時代があった。 そういう方向をとめようとしたって止められない。 国民が望まないほうへ行っちゃあいけない。 もう帰れない処まで行ってしまう。 危険です。 僕は子供のころから明るくない、子供のころの思い出は暗い。 でも明るく暮らそうと思いました。 僕はなりたくないけど、走るのは早かった。 選手になってメダルを貰いました。 昭和6年に満州事変が起きて、爆弾三勇士なんてものがいたり、そういう芝居をやって同級生に見せたり、そういった世の中でした。 学校の勉強などはどうでもいいような感じでした。
自分自身は自由であるという事、外側は色々不自由なことはあるかもしれないが、例えば水道が断水していても、何か楽しいことを見つける。 自分の中だけは自由にしておきたい。 人間が生きるという事は偶然ですから、生まれたくても生まれるわけではない。 生まれた以上は何のために生きているのか、考えなくてはね。 楽しむために生きる、楽しむという事はただ道楽的に楽しむという事とは違うんです。 一日に何か一つでも楽しいことがあれば、その日は丸ですよ。 兎に角今が一番若い日だと取るんです。