柚木沙弥郎(染色家) ・【人生のみちしるべ】愉快に“今”を生きる(2)
工芸とか手仕事とか、それまで興味をもたなかったが、一つのことを極める、柳先生にしても芹沢先生にしても、色んなことをやるな、何か一つの事を一生懸命やる様に言われました。
特に工芸は材料、仕事のプロセスが非常に大事な仕事なので、およそ半分以上材料、仕事の工程から生まれていると思うんです。
体でもって覚えないといけない、良い材料は僕たちの時代は自然の物、絹、木綿とか、手紬の物が段々そういうものは日本では作れなくなったがまだありました。
良い材料があれば染めなくてもいい、そのもの自身に美しさがあるから。
簡単に言うと染色なんか無くたっていいわけです。
生地を生かすことが大事。
模様を感じないほどそこに一体化すると言うこと、生地を生かすような模様を付ける。
洋服にするとかカーテンにするとかは、後半の問題、布を獲得した人がすればいいことであって、布を生かすような模様を作ることが私の仕事という考えです。
日常の色々なものを見ていると、見過ごしているようなものの中に面白さがあるものがたくさんあります。
自然の石が美しいと思っていたが、柳先生はそれに人間の手を加えた、彫刻すると言うこと、その時やっぱり美しくなる。
生け花と同じように手を入れていって、そういうものを作ると実物の花よりももっと美しいものになる、人間が作る造形の面白さというもの、我々にはそういうところが面白いんです。
伝統に縛られたら面白くない。
インドの刺繍なども親から伝わったものだと思いますが、それを繰り返したらあんなには続かない、自分のひらめきを入れて行くと続いてゆく。
決まりごとがありながら今自分が心惹かれるものを入れていく、だからその仕事が繋がって行くと思うんです。
こうやんなさいといわれて仕事は続くものではない。
面白さを発見することです。
そういう状態にもっていくしかない、社会全体の問題だと思う。
一杯ものがあって便利で、特に都会などはそうだが、そういうものの中でも静かでいられるか、社会全体を静かにして統一のある感じ、そういう方向に持って行く必要がある。
パリなんかそういう街ですね。
成熟したというのはそういう文化だと思う。
どんなに忙しくてもバカンス、そういうことを優先させる、前からの流れがある。
自分がやっている仕事が安心してすることができる、そういう社会が一番幸せだと思います。
欲しいもの、ものではなくて人間の本質的なものは何か、それは結局生きていること生き生きしている者には魅力があり、みんな生き生きしたい。
そこんところがだんだん薄れちゃったと思います。
誰かが「こんにちわ」と言い出せばいい。
ゴミ出しに持って行くが、高齢者がいて「お早うございます」と言っても声を出さない。
都会の生活というものはそういうもんなんですよ。
60歳代にスランプがあったが、窮屈な考えがありました。
こうでなくてはならないということが心の中に壁を持っていました。
そのことに気が付いたのは大きな展覧会があって、やりつくしたような思いがあって染色は辞めようかと思って、後は自分の真似の繰り返し。
たまたまアメリカのサンタフェに行って、サンタフェはメキシコに近くて、フォークアートミュージアム(おもちゃの美術館)があって、アレキサンダー・ジラードがハーマンミラーのテキスタイル部門デザインディレクターをしていて、世界のおもちゃの展示をしていて、メキシコの人が藁とか針金だとかそこらにあるもので作ってあって、それを見た時に生き生きしていた。
それを見ている時に染色にこだわることはないと思った。
自分の中に帰れば何をやってもいいんだと思いました。
つまり生き生きしていることはこういうことだと思いました。
印刷に元々興味があって、72歳で初めて絵本を出版。
絵本は子供の本だが子供に限らないと思う、大人が見てもいいと思う。
僕自身が面白いからやるんです。
芸術という言葉は好きではなくて、もうちょっと気楽に考えたらいいと思う。
85歳で初めてパリのギャラリーで個展を開く。
新人として挑戦。(元女子美術大学の学長ということは伏せて)
父親が第一次世界大戦の時に留学して、写真集があり3冊になったが、戦争で焼けてしまった。
父から聞いていたことは文化、アートを大事にするところだとよく聞いていたので何としてもパリに行きたいと思っていました。
ギャラリー・ヨーロッパという画廊があったが、認めてくれないと貸してはもらえない。
反響があり3年連続で開催しました。
フランス国立ギメ東洋美術館の学芸員の人が来て、92歳の時にギメ東洋美術館で私の展覧会が行われることになりました。
作品も今パリの国立の美術館に収蔵されています。(寄贈しました)
寄り道があったとしてもそれでいいと思います。
オファーがあれば僕は張り切るんです。
ネガティブな部分があるが(体力が追いつかないとか)、楽しくなくちゃつまらないはず、本当は人間というものは明るいと思う、肯定的、ただそれが見えていないだけ、現在色々苦しい事があるから見えないだけであって。
軍隊で周りに囲まれても、草一本が生えているだけでそこに楽しみを見つけるとか。
人間は区切らない、今何歳だとか区切らない。
そこをどうやって仕事、遊びととかをどうするか、これからの一つの問題だと思います。
気力、情熱、熱があれば出来ると思う、冷めてしまったら駄目ですね。
或る程度のおっちょこちょい性、母親からくぎを刺されてる調子に乗るなということを余り自分でセーブしてしまうと駄目。
チャンスがあればやる、やってみないとわからない。
作品自身と周りの環境、その両方がうまく溶け合って展示はあると思う。
くそ力みたいなものが民芸館にはある。
民芸館には出来るだけ一人で行ってほしい、自分で自分に自問自答する時と場所なんだと、自分の場を作って欲しい。