2018年5月23日水曜日

合瀬潤一郎(ギター製作者)         ・目指せ!佐賀発ビンテージギター

合瀬潤一郎(ギター製作者)         ・目指せ!佐賀発ビンテージギター
3月まで放送された連続TV小説「わろてんか」のオープニングで流れた主題歌の「明日は何処から」この曲のボーカルバックは佐賀市の合瀬さんが製作したアコースティックギターが使われていました。
合瀬さんは49歳、16年間ギター製作会社でギターを製作していましたが、最初から最後まですべて自分で作りたいと、11年前会社を辞めて独立、佐賀市内の工房でギターを作り続けています。
注文を受けてから作るオーダーメイドで、音楽界で活躍するギターリストから多くの注文が入っていると言うことです。
手にする人に使い込まれていくことで佐賀発のビンテージギターになれば、というのが合瀬さんの目標です。

家の車庫を改造して工房にしました。
自分だけでやりたいと思ったので、一人で最初から最後までやっています。
3月まで放送された連続TV小説「わろてんか」の主題歌でギターを弾いていたのは佐橋 佳幸さん。
佐橋さんのお弟子さんが私のギターを使っていてそういう流れで、お会いして、作って欲しいということになりました。
軟らかめな感じの音がほしいというで、佐橋さんは凄いギターを沢山持っていて、かぶらないようにうちのギターらしさが出るような材料を選んで作ったのですが、頻繁に使ってもらっています。
小さいころからプラモデルをつくっていて、祖母が作ると褒めてくれて、もっと上手に作りたいと思ってものを作るのが上手になったのかと思います。
漠然とものを作りたいという思いはありました。
工業高校に入って、基本的なことしか学べなくて、自分で思い描いていたものとは違っていました。
発電所を建設する会社に就職しました。
部品を組み立てて発電所を作る作業をしました。
プレハブの宿泊所に詰めて作業をしていました。
金属を扱う作業でやっているうちに体に合わない様な感じがするようになりました。
木工をやりたいという気持ちが大きくなってきました。

暇な時間に自分で木を持ってきてギターの改造とかやっていました。
退職してギターを作ろうという思いの中で、佐賀県なので楽器を作るところがなくて、あるギターを製作する学校があり問い合わせて、東京の学校で一年間学びました。
エレキギターの製作を学び3本作りました。
就職先がなくて、佐賀県に帰って来た時に、電話帳の中から楽器関係を探して、久留米で楽器を作る工場があることが判り電話をしたら、たまたま辞めた人がいたので入社することになりました。
クラシックギターの専門の工場でした。
一番最初材料を仕入れて乾燥させてギターの部品を作るところでずーっとやっていました。
材料を仕入れるのに大量に仕入れるので、短時間で調べることを10年以上やっているうちに、手にもった感触、重さ、湿り具合とか、これは良いなということが瞬間で判るようになって来て、材料の見極めが出来るようになりました。

部品を作るのは単調で、凄い良い材料を使って凄い良い部品を作りたいと思うようになってきました。
20人位の会社で、自分の思いとは違う製品になってしまって、忸怩たる思いがありました。
どうやったらいいものが出来るか試していましたが、海外製の良いブランドにはかなわないと苦労したし、悩んでいました。
海外製のものを調べてコピーを何度となく作ってきたが、思うようなもの出来なかった。
ガレージを改造してテーブルなど作りながら、ギターを一本作ってみたら良い音の出るギターを作ることができました。
2,3本と作っても良いものが出来ました。
一人で作るようになってから、道具も自分で作らなくてはいけなくなって、道具も作って、そうしたら作り方も変わって、音も変わってきたことが判りました。
作業の方法、工程は見ただけでは判らない。
色んな作り方でやったら面白い様にいろいろ音が変わってきて、言われた音を出せるようになってきました。

会社を辞めて独立しました。(11年前)
その頃にリーマンショックが起こって、1,2年は作っても売れませんでした。
佐賀の地元の楽器店と懇意にさせていただくきっかけがあり、地元のミュージシャンに使ってもらって、口コミで佐賀県内に広がって行きました。
プロに使ってもらって評価してもらった方がいいのではないかと言われて、ギターに携わっている音響の方からの評価が高くて、プロの方にも広がって行きました。
コンサートツアーでは楽器にダメージを起こすことが多いらしくて、数百万円のギターを簡単に持っていけるかというとそうはいかないので、それに順ずるものが求められるので、うちのギターを選んでもらえるものと思います。
値段は30~40万円位です。
電話をかければ直ぐ通じて、直してと言えば簡単に直せる人がいて、替わりをと言えば出せる状況などが、重宝にされている理由かと思います。
どういうギターを作って欲しいということは、言葉によって伝えられるが、音のニュアンスがそれぞれ感じ方が違うので、それが難しい。

「バシャーン」というのを作ってくれと言われて、作って渡したが、「バシャーン」という感じではないと言われた。
私にとっては「バシャーン」は出ていたが、その人にとっては「バシャーン」ではなかった。
その人の「バシャーン」は僕にとっての「ドカーン」だった。
言う人と受け取る側の違いを掴むのが難しい。
音源を聞かせてもらって、これがいいと言ってもらえるのがやりやすい。
良い物を作るということに関しては順調には来ていると思います。
ギター屋さんとしてはポンコツです。(なかなか稼げない)
工場にするということはあり得ない。
基本はいい音がしてみんなに大切にして貰える様なギターを作って、僕が居なくなっても大事にして貰えて、それがいつかビンテージと呼ばれる日が来るのではないかと思っています。