2018年5月11日金曜日

若竹千佐子(作家)            ・63歳、デビュー作で“芥川賞”

若竹千佐子(作家)            ・63歳、デビュー作で“芥川賞”
今年1月「おらおらでひとりいぐも」で63歳で芥川賞を受賞しました。
1954年岩手県遠野市生まれ、岩手大学教育学部を卒業し、数年間に渡って臨時教員を経験、その後結婚し上京、専業主婦として過ごしてきました。
小説を書き始めたきっかけは、ご主人を脳梗塞で亡くし落ち込む若竹さんに息子さんが小説講座を薦めたことでした。
8年間通い小説の基礎から学びました。
受賞作は夫を亡くした74歳の女性桃子さんの物語で東北弁を随所に活かして書かれています。

受賞して夢にも思っていなっかったことで4カ月たってはしゃぎ過ぎで、もうすぐいい加減前を見て次のことを思うようになりました。
岩手県遠野市生まれです。
子供のころから大柄な小娘で、三人兄弟の末っ子で、賑やかな家族で大事に甘やかされて育ちました。
本は大好きで兄、姉が借りてきた本を読んだり、最初に買ってもらった本が「安寿と厨子王」で祖母に字を習いながら、今度は自分が読んで祖母に聞かせるようになりました。
「風と共に去りぬ」は暗記するぐらい読みました。
岩手大学教育学部へ入学して、趣味で小説を書くようなライフスタイルを望んで居ました。
臨時教員をしながら本採用を目指していましたが、駄目でした。
どう生きていったらいいか考えていた時期でした。
向田邦子さんが大好きで、全編書きうつしたのが何作かありました。
シナリオの勉強をしたいと東京に行ってみようと思って、現在の埼玉県さいたま市の学習塾に住みこんで塾の先生をやりました。
慣れてきた頃、親から見合いの話があり会ったら、私の好きな男のタイプで、結婚しました。

私が30歳の時に千葉の方に来ました。
専業主婦で暮らしてきましたが、小説家になりたいという思いは頭の中にありました。
自分はどういう人間だとか、世の中はどういう世の中なんだろうかということについては書き記したいという思いがあり、書いたりはしていました。
河合隼雄さん、上野千鶴子さんの哲学的な本の感想なども書いていました。
何にもないところから一人の人間を生き生きと立ち上げたいなという思いはありました。
小説に出てくる「桃子」さんは74歳。
東京オリンピックの時は10歳でしたが、こういう世界があると言う思いがすごく新鮮で「桃子」さんの人生が変転するきっかけはどうしても東京オリンピックにしたかった。
9年前に57歳で脳梗塞で主人が亡くなりました。
がっかりして、何か意味があるような気がして、それを探したいと思いました。
根本先生の小説講座があると、息子が見つけて来ました。
根本先生はどんなボールを投げても受け止めてくれる安心感がありました。
「小説は哲学です」と言われました。

小説は悲しいというような内容だけではなくて、悲しいと思っている主人公をもっと上から見つめる目線があって、客観的に書く必要があると言うことを教わったり、又講座の仲間たちとのいい出会いがありました。
書いたものをお互い同士が批評し合って、最後に先生が講評するというスタイルでやっていました。
最終的には書き続ける意志が大事だと思いました。
小説は首都近郊の住宅地、「桃子」さんが故郷を離れた形を設定、そうすると或る意味浮遊感、根無し草的な生き方、ほとんどの人が戦後してきたわけで、何処に自分の居場所をみつけるかということは大きな問題で、一人ひとりが何かに繋がっていないと自分を確定していられないという、そういった不安とかを心に抱えながら生きていっている現代人、地縁血縁を離れた新しい人、その人がどうやって心に安定感を見付けられるか、しかし「桃子」さんは周辺とは交わらないという設定。
「桃子」さんの心をとらえるのは何か、ということで八角山、故郷に繋がる言葉を大事にして、そこが「桃子」さんの出発点だと言うものを故郷と話した所に「桃子」さんの居場所を置いたんです。

ポツンと都会に生きていて、帰属するものを探さなくてないけないが何処かに安定した幸せが求められるのかなという問いかけもあったが、その時に自分の子供のころ使った言葉をツールにして、自分を掘り下げて行くと言うふうにしたかった。
孤独の良さ、孤独だから自分に深く問いかけられるし考えられる。
老いていることと孤独ということは或る意味背中合わせになっているが、プラスで考えられるようなに生き方を書いてあげたかった。
私自身も一人で生きて行くので、孤独は必要だと言うぐらいに思っています。
常に悲しみの中に喜びがあると言うのは私の発見というか、マイナスの中にプラスを見付けると言うか、そういうことだったんです。
今は子供達は大きくなって夫も亡くなって、私をこの世に引きとめるものは客観的にはなにもなくて、でも私が生きてゆくとしたらそれは何なんだろうと思うと、この世にはもう用済みだけれども、私の自由意思で自己決定権を持って考えたことを行為する、その喜びを継続することが私のこれからなんだろうと、自由だと言うのが一番ですね。

母親には母親の人生があり楽しんで生きていってお前とは別なんだよ、と言うことを子供に言ってやることが、子供にとっても親切だと思っています。
おらはおらにしたがう、が一番いいと思います。
老いをいかに生きるかという小説があっていいと思う、これから長い時間が老いの時間でどうやって生きていくかの小説がもっとあっていいと思う。
頭の中で考えている処は小説の分野だと思います。
私は何を考えているんだろうの方が興味があり、問いを見付けてその答えを探す過程が物凄く面白くて、判ったことを面白おかしく書きたいみたいな感じです。
自分に対しての分析癖と分析したことを面白おかしく言及する癖、そんなことを小説に書けたらいいなあと思います。
私は内省する脳内のことを書いていこうと思っているんですが、社会に目を見けた視線も必要だと思っています。
やっぱり小説は面白くなければと思っていて、面白い小説は書きたいとは思っています。