2018年5月20日日曜日

鳥居大資(ソースメーカー社長)      ・【“美味しい”仕事人】和のソースに挑む

鳥居大資(ソースメーカー社長)      ・【“美味しい”仕事人】和のソースに挑む
美味しいモノがあふれている日本の食、そのおいしいものの舞台裏で食を支えている人たちがいます。
フライなどにかける、ウスターソースはイギリスが発祥と言われています。
それが日本に伝わり、独自の製法が生み出されました。
現在大手メーカーの他、全国各地で地ソースを製造している会社が多数あって、それぞれの地域の嗜好に応じて生産されています。
静岡県浜松市のソースメーカーは大正13年の創業で、地元産の野菜や果物を原料に昔ながらの木桶で熟成させるなど丁寧なソース作りを続けています。
3代目社長の鳥居さん、(47歳)は大手商社や世界的な電機メーカで海外を飛び回る仕事をしていましたが、16年前に家業を継ぎました。
外国の人にも日本の出汁文化をアピールできるような和のソース作りに取り組んでいる鳥居さんに伺います。

ウスターソース、中濃ソース、トンカツソースそういったものを作っています。
粘度の差で分けています。
イギリスのウシターが発祥の地と言われています。
イギリスのウシターソースはしょっぱい、酸っぱいというような味でした。
日本に渡って来たのは明治になってからです。(西洋醤油と言われていた)
以前はカレーにかけていた。
コロッケ、メンチカツなどは油であげているので、酸味が入ることで脂っこさをソースが和らげてくれる。
今年で創業94年になります。
地ソース、地域地域でソース屋があります。
全国では100社以上あります。
西日本、関西の方に多くあります。
粉もの、お好み焼き、たこ焼きなどが関西が多いのでその関係で関西の方が多いです。

洋食屋さんが増えてきて祖父が教えてもらいながら作ってきたと言われます。
工場の食堂に卸していました。
最初は野菜を煮込むところから始まります。
玉ねぎ、ニンジン、ニンニク、セロリ、トマトなどを使っています。
生が良いので地元を優先的に使っています。
酵素、タンパク質なので高温では失活してしまうので、なるべくゆっくり低温で煮込んでいくことを心がけています。
コクが出る、甘みが増すことを狙ってゆっくり低い温度から煮込んでいきます。
煮込んだ野菜を石臼の機械に入れて行くと、種や皮も丸ごとすりつぶしてくれる。
石臼だと食感が滑らかな感じになって行く。
パウダーやペーストは簡単に買うことができるが、すでに加熱されていて、煮込むほど風味、香りが飛んで行ってしまう。
加熱する回数は少ない方がいい。

味付けは「さ し す せ そ」の「さ、し、す」 砂糖、塩、酢を入れます。
酢は重要なので自家製です。(30年前から)
自家製の酢はつんとした感じはないです。
香辛料を次に入れていきます。
ティーバックに紅茶を入れたようなふうに、香辛料を入れて出来上がったソースに浸けこんでいきます。
欲しいのは香りだけなのでこのような方法でやります。(味をいれこまない)
こんぶ、鰹節も使っています。
アンチョビはイギリス人にとってのうま味だったが、日本に来てからはアンジョビではなくて昆布、うちではそれに鰹節を加えて出汁を取っています。(和のうま味の基本)
グルタミン酸とイノシン酸を足すとうま味が1+1が3ぐらいになる。
私の代からそのようにしました。
寝かせておくとそれぞれの味がなじんでくるので、木桶熟成をやっています。
木桶は上手に使えば100年以上持つなということが判りました。
木桶はメンテナンスが大変で高価でもあります。
素材を楽しみたいと言うお客様が増えてきているので、調味料が素材を邪魔してはいけないということで、私どもにとっては追い風だと思います。
それが大手メーカーとは違うところです。

学生のころは海外の方に目が向きました。
外交官になるにはと言うことを考えて、外務省でアルバイトをしました。
その後カナダに留学しました。
学生論文で入選して日米学生会議にも出席しました。
大学卒業後、スタンフォード大学の大学院で学び修士課程を修了する。
アジアに特化した政治、経済の国際関係の勉強をさせてもらいました。
大手商社に入社、バブルがはじけた時で審査部で不良債権になるならないのぎりぎりのところの取引先を勉強しました。
大手電機メーカー(GE)に就職。
2004年家業に戻る。
会社を運営スタイルはこうも違うのかと言うことを勉強しました。
私が家に戻って来る直前に父が倒れてしまうと言うことがありました。
2001年から毎年新しいものに挑戦してきました。
すこしずつ素材が改良されている中でソースがどれだけ変わっているのかということに対して、一つのアンチテーゼとして出したかった。
食の世界では直ぐに新しいものには飛び付かない傾向にあり、半歩先をねらってきました。
スパイス感のしない状態に持っていこうと試みました。
香辛料の量を押さえたものを作っていきました。

2012年には半径50km以内の原料で作る、地ソースのベースのような考え方。
東日本大震災を経験して、本当に地元だけで回せるのか、その時にどういう味になるのかということのトライアルでした。
2014年には和食に合うソース、2015年には浜名湖産の牡蠣を使ったオイスターソースには塩麹八丁味噌を使い、2016年には米の甘みを生かしたソースなど和の原料を使う。
ソースが世界の中に受け入れられた時に、原材料だけを見たらすぐにぱくられてしまう。限り無く日本ならではのものを使ったソースだと言うことになると、日本からという起点が出来るので、原材料をより日本ならではのものにしています。
和食に使える芯が無いと、着地点がないのではないかということになってしまって、日本人が普段食べているものによりソースを浸透させたいという狙いはあります。
ウスターソースも進化して、ウスターソースでいいのかなあとの思いもあり、名前も考えないといけないのかも。