2018年5月31日木曜日

伊藤比呂美(詩人)            ・ワカモノに告ぐ

伊藤比呂美(詩人)            ・ワカモノに告ぐ
東京都出身、62歳、今年春から早稲田大学文学部の任期付き教授となり、20年ぶりにアメリカから帰国、住まいの熊本と東京を往復する生活が始まりました。
青山学院大学在学中から詩を発表し、性や身体をテーマにした過激な表現で注目を集め、第16回現代詩手帖賞を受賞し、女性詩人ブームをリードしました。
育児エッセーのジャンルを開拓、「良いおっぱい悪いおっぱい」はベストセラーになって、今も読み継がれています。
その後日米を往復する遠距離介護や自分自身の更年期を描いた作品を多数発表、「とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起」で萩原朔太郎賞、紫式部文学賞を受賞しました。
アメリカに渡るきっかけになった28歳年上の再婚相手を2年前に見送って3人の娘さんは独立、犬1匹だけを連れて帰国した伊藤さんに伺いました。

父がいた時は1カ月に一遍は帰ってきていましたが。
早稲田大学文学部の任期付き教授となり、教えることと書くことの違いもあり、面白いです。
連れ合いがアーティストで28歳年上でハロルド・コーエンと言いますが、彼が自分のアート中心でそれを見て自分も直したが、でもハッと気が付いたら私もそうでしたので、こういう生活は人には薦められませんね。
決していい夫婦ではなかった、喧嘩ばっかりしていて、でも一番ショックだったのはもう一人で喋る相手がいなくて、彼は何だったんだろうと思いました。
淋しさ、宇宙空間に一人残されたらこんな感じだろうなと思いました。
夫は88歳直前で亡くなりました。
父の介護と犬の介護もして、亡くなって、暫くしてからまた犬を飼いました。
連れ合いが最後の数カ月リハリビホームに入ったが犬を連れて行きました。
夫が亡くなって犬だけになってしまいました。

二人の子供が10歳位の時にアメリカに行きましたが、三人目の一番下の子を育ててみたら
しつけが違うんです。
文化として食卓では箸の持ち方とかあるが、むこうで一番大切なのは人の前を横切って手を伸ばさないとか、バターを取ってくださいとか受け応えして言って貰う。
英語に苦労したのは、文化の張り巡らされた根っこの低いところから文化が違っていて、そこから出てきた英語なんだなと子供を育てて判りました。
ハロルドからは、仕事が一番で家庭は隅っこにと言うことを学んだことはよかったです。
一人の男が強くて大きくて社会的にも立派な仕事をしていた人がどんどん弱くなっていって、手の中で死ぬようにして死ぬんです。
2年位の間だったが、そこまで看取ったのが何よりの経験でした。
ハロルドが死んで暫くしてからもっと介護したいと思いました。

親とか連れ合いが亡くなって自由になった感じがします。
更年期が50代からあるが、更年期が楽しかった。
介護したりしてみんな同じように大変で、立場が同じ様で更年期はそういうものがいっぱいあって楽しかった
60代は寂しい時期だと思いました。
色んな人が亡くなっていき、介護とか自分を支えるものが亡くなって来ると、後は御迎えを待つばかりというような感じだったが、でも何て自由なんだと思いました。
連れ合いが亡くなり家庭が消滅して、自由です。
石牟礼道子さんが亡くなって寂しいです。
『苦海浄土 わが水俣病』は本当に良かったですね。

『ウマし』 新しく刊行、食べることを書いている。
連れ合いが死んで2年になるが、オファーがあり早稲田大学文学部の任期付き教授として仕事をすることになり沈みかけていた舟が助かりました。
娘は鹿乃子が34歳、サラが32歳、トメが22歳になりました。
大学では詩と小説とクリエイティブライティングが2時間であと文学とジェンダーだが、ほとんどやっていなくて人生相談になっています。(正規の授業以外等)
アメリカの女子大学は凄く意識が高くフェニミズムで面白い教育でした。
日本の若い人は喋れなくなっているのかなと思ったら、そうでもなく結構はっきり意見を言ってくれて嬉しい誤算でした。
ジェンダー論に使われる教材として私の詩があったわけなので、ジェンダー論は何も知らないです。
私のクラスで学べるものがあるとしたら、何言っても良いということかな。
多様性という、色んな人がいて良いんだ、なんでもありなんだと言うことを教えたい気がします。

教えるのは向いていない様な気もします。
アメリカにいた時に同時代のものをほとんど読めなくなって古典、お経とかにはまっていったと思います。
いまは熊本に起こった紳風連の乱について書いています。
明治9年に起こった元武士の反乱で150人蜂起して、80人ぐらいが切腹している。
地元のものなので、ここ1,2年歴史文学館に行って読み解いてきました。
歴史文学は苦手な分野ですがやっていきたい。

「今日」(伊藤比呂美訳)
(子育てに頑張っているママに贈る詩がとても共感できると話題になっている。)
「今日、わたしはお皿を洗わなかった
ベッドはぐちゃぐちゃ
浸けといたおむつは
だんだんくさくなってきた
きのうこぼした食べかすが
床の上からわたしを見ている
窓ガラスはよごれすぎてアートみたい
雨が降るまでこのままだとおもう

人に見られたら
なんていわれるか
ひどいねえとか、だらしないとか
今日一日、何をしてたの? とか

わたしは、この子が眠るまで、おっぱいをやっていた
わたしは、この子が泣きやむまで、ずっとだっこしていた
わたしは、この子とかくれんぼした。
わたしは、この子のためにおもちゃを鳴らした、それはきゅうっと鳴った
わたしは、ぶらんこをゆすり、歌をうたった
わたしは、この子に、していいこととわるいことを、教えた

ほんとにいったい一日何をしていたのかな
たいしたことはしなかったね、たぶん、それはほんと
でもこう考えれば、いいんじゃない?

今日一日、わたしは
澄んだ目をした、髪のふわふわな、この子のために
すごく大切なことをしていたんだって

そしてもし、そっちのほうがほんとなら、
わたしはちゃーんとやったわけだ」