朝井まかて(作家) ・「好き」を貫く~私と牧野富太郎~
NHKの朝の連続テレビ小説は明後日から「らんまん」が始まります。 主人公は植物学者の牧野富太郎ですが、朝井まかてさんは去年、この牧野富太郎の生涯を描いた小説「ボタニカ」を発表しました。 朝井さんは1959年大阪出身、大学を卒業後広告会社に勤めますが、2008年『実さえ花さえ』で作家としてデビュー、2013年には『恋歌』で直木賞を受賞します。 以降数々の時代小説を描き「ぬけまいる」「眩(くらら」などもNHKでドラマ化されました。 「ボタニカ」は日本の植物学のと呼ばれる牧野富太郎を描いています。 幕末の土佐に生まれた牧野富太郎は江戸時代に発展した中国由来の植物学「本草学」を学び、植物の魅力に取りつかれます。 小学校を中退すると、本格的な植物学を志して、22歳で上京、当時の帝国大学の植物学教室に出入りするようになり、標本の収集と分類、日本独自の植物図鑑の発行に情熱を燃やしていきます。 富太郎が生涯に収集した標本は40万点にも及び、命名した植物は1500種にのぼると言われています。 時代の変革期を駆けぬいた若者を描きたかったという朝井まかてさんに伺いました。
或る編集者から牧野富太郎って知っていますかと聞かれて、有名な人なので「知っています」と憮然とはなりました。 小学生の時に偉人伝で出会っていました。 彼は高知県出身で「牧野富太郎を書いてみませんか」と言われました。 富太郎もそうですが、私も気が付いたら植物のことが好き本も好きでした。 連載するときに、調べながら書く、書きながら調べるという事をしてきました。 しかし、途中でこういう主人公を読者は受け入れてくれるのかどうか、不安な思いがしましたが、書きがいがありました。
牧野富太郎は、土佐国佐川村(現:高知県高岡郡佐川町)で商家(雑貨業)と酒造業を営む裕福な家に生まれた。 佐川小学校を2年で中退しているが、学問の歴史は凄いんです。 藩校の教育は深くて厚かったので幼いころからたっぷり蓄えていた。 小学校に入っても知ってることばっかりで、小学校を辞めた後は今度は教師できてくれと言われる。自然も好きだったが、人間も好きだった。 周囲からは自己中心主義に見えるが、そうでないと「好き」は貫けないし、本人は何とかなるだろと思っている。 両親を早くなくしているので親の味を知らない。 祖母に育てられる。 押さえつけられずに育った。 本屋さんからたくさんの本を富太郎のために買い込んだりしている。 知的好奇心は幼いころから自然のなかで過ごす事が多いと育つと発達心理学で言われている。植物に話しかけ、植物が答える、聞こえていたんだろうなあと思います。 近くの神社に梅花黄蓮の群落があったらしい。 そこで会話をしている。
幕末から明治初期にかけての若者はスケールの大きな人が各界に多いような気がします。 新しい国を作るという事については植物学者、文学者、政治家も志を持って生きた時代だなあと思います。 富太郎はいくつになってもにぎやかな自然児なんです。 研究には緻密で多面体の人ですね。 日本全国に富太郎のファンがいて、珍しものがあると送ってくるわけです。 無名な人たちの助力があって40万点もの標本があるわけです。 借金が溜まってきて標本を手放さなければいけないという危機的な場面があるが、助けてくれる人が現れる。 娘の嫁入り支度の資金を前借するが、それも本につぎ込んでしまう。
最初の奥さんが「猶(なお)」、いとこ同士。 調べた限りの「猶(なお)」さんの像を描きました。 「猶(なお)」は幼いころからの知り合いで、祖母が結婚を薦め、祖母と共に支える人だった。 東京で可愛い少女と出会います。 自分が初めて守りたいと思った、それは恋です。 「猶(なお)」さんへの支持が非常にあったのは嬉しかったです。
2008年『実さえ花さえ』で作家としてデビュー。 江戸時代大変な園芸ブームがあり、いろんな花を品種改良して作る技術があって、それは世界一だったと思います。 小説を書きたいという思いと一致して書くことになりました。 染井吉野に興味を持ったことがあり、デビュー作に盛り込みました。 ふで、くさに関しても書いていてしゃべったりします。 作品は作者のものではないことは確かです。 読者がどう読んでくださるか。 同じ作品でも10代で読むのと50代で読むのとでは全然違います。 作品と読者は一対一なんです。 時代小説は資料を沢山当たることで大変さはありますが、でも楽しいです。 資料はたくさん買います。
植物図鑑の功績は非常に大きいですが、学問の楽しさを一般の人に広めたことも大きな功績だと思います。 目先のことではなく、100年後役に立たないかもしれないけれど、一生懸命夢中になってやっていることが、私にとっては魅力的です。 日本では今、直ぐに成果を求められるから、優秀な人が海外に出て行ってしまう。 江戸時代から来た学問と西洋から来た学問がぶつかりあった時代に富太郎は両方をシャッフルしているし、学んでいる。 富太郎は94歳まで生きました。 デビューして15年ですが、こういうものが受けるだろうという事では書けないです。 書くことで、結果苦しむことがあっても書くことでしか乗り越える事は出来ない。 だから書き続けるしかない。