粟国淳(演出家) ・〔夜明けのオペラ〕オペラの魅力を追い続けて
粟国さんは今最も注目を浴びている演出家のおひとり。 2021年の新国立劇場「チェネレントラ」や2022年の日生劇場「セビリアの理髪師」は世代を超えて楽しめるオペラとして評判を呼びました。 現在は新国立劇場研修所や大学でも指導に当たり、又日生劇場芸術参与として劇場全体の運営にも携わっています。 今年60年を迎える劇場では日本初演の「メデア」そして粟国さんにとっては初演出となるヴェルディーの「マクベス」と話題作が揃っています。 オペラという総合芸術の楽しさを次世代につなげていきたいと様々な試みを続ける粟国さんに伺います。
4月は学校が始まったばかりで忙しいです。 コロナで大変でしたがようやくもとに戻りつつある状況です。 日生劇場が60周年を迎えます。 小学生から高校生までに劇場で舞台を見せるという事を一番のテーマとして60年間やってきました。 大人の方にも特にオペラを見せるという事もあります。 「メデア」は日本初演になります。 変わり目の作品の一つだと思います。 オペラは劇であり綺麗な音楽が流れているわけではなく、ケルビーニの時代にグルックが音楽は言葉、ポエム、詩、ドラマを支えるものであって、その逆ではない、オペラも歌を、テクニックを披露する感じになってしまったようですね。 言葉、ストーリーーが段々なくなってきたところにグルックは変えて、又元に戻していこうとして、現代のオペラに発展していくと思いますが、ケルビーニがこの「メデア」で凄いストーリーで響きですね。 ブラームスからワーグナーもこの作品は素晴らしいと絶賛していました。
ドラマチックで演劇的要素が強くて、共感部分と違うのではないかいう部分もあるが、心のなかに浸み込んでくるようなものがあります。 1953年にヴィットリオ・グイの指揮で主役を演じたのがマリア・カラスで、この作品を復活させたという感じです。 「マクベス」を秋に行います。 「マクベス」も難しい作品なのでなかなか取り上げられない。 ヴェルディーがいろいろ指示して何百回も稽古をした作品です。 ヴェルディーが「マクベス」をやるにあたってベルカント( イタリア語で『美しい歌』という意味。)系の歌い手は厭だと言っていたぐらいです。 歌、声を中心にする歌い手は厭だという事でした。 演劇的に言葉をちゃんと伝える。
*「憐れみも誉も愛も」 マクベスから
マクベスは権力欲、名誉欲とか、今に通じるものが沢山あります。 ドロドロしたオペラですが、子供達への学校公演でも見てもらいます。 子供ながらもハムレットも何のための復讐だったのか、みんな死んでしまったという時に、心のなかで凄く悲しかった。 復讐はしたけれど自分も亡くなる。 美しいオフィーリアも亡くなってしまう。 一体復讐って何なのかなあと考えました。 日本でも戦国時代はマクベスだったわえけじゃないですか。 辛いですよね。 100年前のヴェルディーの作品を観て、我々は馬鹿なことをやってと言って笑わなければいけないが、考えられないと言えるはずが、「そうだね」といまだに言わなければいけない。 今でも同じことが起きているという事、だからこそこういう作品を取り上げて考えさせなければいけないんじゃないかなと思います。 どうやったら、言葉と芝居と音楽が一体になるかという事を作っていきたい。
ヴェルディーはシェークスピアが大好きでした。 「リア王」を手掛けたかったが、いろいろな事情で進められなかった。
プッチーニの「ラ・ボエーム」 テレビドラマのようなとんとんとしたセリフがあってその中にプッチーニの音楽とセリフ、アクションが全部オンタイムで進んでゆく。 でも見ている側には何のストレスもない。 これが見事です。
*「ラ・ボエーム」から第一幕 ミレッラ・フレーニとパヴァロッティー ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
オペラ歌手はドラマを歌わなければいけない、演じなければいけない難しさがある。 「ラ・ボエーム」を観て演出家に成ろうと思いましたが、ゼッフィレッリの「ラ・ボエーム」だった。 今はその再演出家としてかかわっている、自分にとっては感慨深いです。 いつかはオペラ演出家としては唯一演奏してみたい作品は「マクベス」と思っていましたので、でもちょっと怖いですね。